性悪なやつ

徴兵拒否者はフランス語では refractaire(反抗者、性悪なやつ)あるいは insoumis(服従しない者)、良心的兵役拒否者は objecteur de conscience、スペイン語では前者は profugo、後者を objetor de conciencia、英語ではそれぞれ draft evader、conscientious objector と言うらしい。これでも分かるとおり、良心的兵役拒否という概念が生まれる以前、兵役を拒否する者は社会のはみ出し者、厄介者だったということだ。日本ではそもそも拒否はありえず、したがってそれを表わす言葉もなかったのではないか。北御門二郎氏が徴兵司令官から「兵役と無関係たることを証す」と言われたように。
 いや、兵役拒否あるいは忌避の歴史をたどるつもりではなかった。ただ古い仏和辞典を見ていて、refractaire という言葉がふと目に入り、感心したのがきっかけである。その辞典とは大修館書店発行の『スタンダード佛和小辞典』である。昭和34年発行で、どの程度の共著かは知らないが、鈴木信太郎、渡辺一夫など部外者でもその名を知っている錚々たる学者十人が名を連ねている。以後そういう例はないのではないか。現在は辞書編纂の技術は高度の発展を遂げ、例えば使用頻度数などもコンピュータではじき出される。だから新しい辞典では先の refractaire などという単語は【古】マークが付けられている。そのとおりなのであろう。
 かく言う私も一度辞書作りに参加したことがある。大先輩のT教授に引っ張り出されたのだが、今から考えるといい経験をさせていただいたと感謝している。辞書作りはズブの素人だが、私なりの信念はあった。簡単に言えば、辞典はたとえいかに小さくとも宇宙を反映すべきである、という信念。だから新しい辞書編纂術と時にぶつかることもあった。humano(人間にかかわる)と alma(魂)という二つの単語の扱いで、特に頻度数をめぐって一人の編集委員と対立した。会社側も T 教授も私の主張を認めてくれたのに、初版ではこれら二つの単語は低いランクの単語になっていた。しかし新版になるときに再度の主張が通って赤字の最重要語(千語)に格上げされた。
 以上二つの話はうまく繋がらないかも知れない(いつものとおり)。しかし一つ一つの言葉が学問的(?)分析にかけられる以前にすでに一つの思想であり、それらを集めた辞典はしたがって自ずと小宇宙を形成する、という一点で繋がっている(はず)である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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