夫君と妻君

いつか読まなければと本棚の隅に置いてあった神谷美恵子著作集第一巻『生きがいについて』(みすず書房)を取り出してきた。ついでに「日本の古本屋」を検索したら、著作集全十巻、別巻、補巻二巻、計十三冊が一万五千円で売りに出ている。さっそく注文しようとして、待てよ、こんな調子で本を買っていったら、今でさえ整理に困っているのに、第一死ぬまで読めないではないか、と思い止まった。
 それはともかく、ぱらぱらとページをめくっていると、彼女が夫のことを「主人」と書いている箇所にぶつかり、どうにも気になりだした。いや、今時どんな人でも自分の夫のことを「主人」と言っている。現に家内だって。しかし考えてみると、実に嫌な言葉だ。といって私はべつにフェミニストではない。どちらかというとフェミニズムは敬遠したい方だ。でも「主人」という言葉が意味していることはそれ以前の問題である。
 世の中にはそうした明らかに封建的な、差別的な言葉遣いを気にしている人たちがいることは間違いない。だからたとえば、夫のことを「連れ合い」とか「宿六」とか言う人もいる。そこまでいくと逆な意味で嫌味である。外国語だったらそのあたりのことは実にすっきりしている。法的・社会的名辞と日常的・慣習的名辞のあいだに距離がないからである。たとえばスペイン語で法的にも日常的にも「夫」は esposo であり、また他人にとっても自分にとっても「夫」はあくまで esposo である。
 では日本語で相手の「夫」を「ご主人」「旦那さん」以外にどう呼べるか。適当な言葉はなさそうである。明治時代、日本語が諸外国との交流の中で揺れ動いているとき、他に何か言葉が作られたのかも知れない。たとえば漱石の小説の中ではどうだろう。いつか調べてみたいが、いま思い出した言葉がひとつある。「夫君」である。「どうぞ夫君によろしくお伝えください」。ちょっと変かな。でも「ご主人」より抵抗感が少ないし、意外と新鮮に響くかも知れない。自分の「夫」はもちろん「夫はいま出張よ」ぐらいに使えばいい。他に「亭主」という言葉もあるが、この際死語にする。
 さて問題は「妻」である。他人の「妻」は「奥さん」「奥様」以外の呼び方がないか。「細君」は自分の妻を卑下した言い方だが、同じサイクンでも「妻君」という言い方もある。どうだろう、この際「夫君」「妻君」をペアで使ってみては。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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