実を言うとこんなこと書きたくもないし話題にしたくもなかった。しかし今日の午後、何気なくインターネット見ていたら、とんでもないサイトにたどりついてしまったのである。カトリック修道会の一つサレジオ会の施設で少年時代を送った一人の三十歳代の男性が、結婚して子供をもうけ、幸福な家庭を築いた。しかしある日可愛いわが子を風呂に入れているとき、とつぜん過去の忌まわしい光景が蘇り、もはやそこから逃れられなくなった……。管区長や院長への抗議文書やその回答も掲載されている。だがそこにあるのは、所詮組織の人間と一人の傷ついた人間との会話にならぬやり取りでしかない。そのサイトを立ち上げたのは、被害者その人と思われるが、自分の体験を客観視できるようにと、当然のことに昨年アメリカで起こったボストン司教による少年たちへの性的虐待事件も資料として収録されている。そしてサイトにはさらにあの事件も取り上げられている! そして当然である。
実はこのサイトに辿りついたのは、まさにその事件のことが頭に浮かんだからである。つまり今回の事件はあのスチュワーデス殺人事件と関係のあったのと同じ修道会の不祥事なのだ。ベルメルシュが無罪であろうが有罪であろうが、あの胸糞悪い事件をひた隠しにしてきた日本カトリック教会は、その事だけでも全教会あげての公的な謝罪が必要であり、それが出来ぬくらいなら教会組織そのものを自己解体して一から出直すべきであった、と思っている。なるほど毒は身体中にまわっていたわけだ。今回の事件を引き起こした神父は、学園長として組織の中枢にいたのである。
不思議な時代にわれわれは生きている。今までならごくごく少数の者にしか知られなかった事件が、アクセスすればだれにでも知られてしまう時代。それだけ恐ろしい時代でもあるが、また無力な個人にとってこれほどありがたい時代もない。事実このサイトには毎日何十というアクセスがあり、カトリックに限らず各地の施設で差別や性的虐待を受けてきた人たちの情報交換と相談の場となっているのだ。日々のささやかな体験を伝え合っている何十万(いやいや何百万でしょう)という幸福な人たちのすぐ側で、拭いようもない忌まわしい過去の亡霊から逃れようと血みどろな闘い(なんと多くの自殺未遂!)を挑んでいる無数の人たちが生きている。
「この小さき者の一人をつまづかせるくらいなら…」(ルカ・17・2)
(2/28)
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ