昨日は午前中いっぱい、櫻の花を写すことに費やした。はじめ撮ったときは薄日だったのに、部屋に戻って来たとたん、雲間が切れたのか、櫻の花びらが陽光に乱舞し始めた。これは取り直さなきゃなるまい、とまた下に降りていった。こういう時、デジタル・カメラは便利だ。フィルムの無駄遣いを心配しなくてもいい。
今日はその反動からか、ほとんど見ないで過ごした。ただ、近所にはわが家の櫻に敵うものはなかろうと思っていたが、窓から見えるカトリック幼稚園の敷地内にも、少なくとも高さでは家のものを越える樹があることに初めて気付いた。ちょっと残念。ともあれ、美しいものを見るのにもエネルギーが必要なのか、あるいは櫻の花に酔ったのか、少なくとも今はとうぶん見なくてもいいという気分だ。
昨日はまた、長いあいだ気になっていたことをやっと片付けた。廊下の隅に立てかけていたかなり大きな額縁を階段上の壁に掛けたのである。バッパさんが買っていたものらしいが、横60センチ、縦1メートルはたっぷりあるかなり豪華な額で、入っている絵も印刷されたものではあるが遠目には模写されたもののように見えるほど質感のあるキリストの絵である。いわゆる磔刑像ではなく、十字架を担いで歩くキリストが描かれている。見たことはあるが誰が描いたものかは分からない。色感や顔かたちは、グレコのものに近いのだが……まっ、これも明日あたりゆっくり調べることにしよう。
花や樹木に関する知識がないだけでなく、絵画についてもほとんど無知に近い。数年前、その欠を埋めるべく20巻近い大型の世界絵画集を買ったはいいが、それを紐解く余裕もまだないのである。数年前に亡くなられた恩師K先生が美術史の権威なのに恥ずかしい。
ともかく旧棟の一階に下りる階段は、まるで廃屋のそれのように殺風景であったが、これでなんとか人の住んでいる雰囲気が出てきた。一年をかけてこの陋屋に少しずつ自分たちの空間を広げてはきたが、まだ手付かずの空間が残っていて、放っておけば凄まじい植物の繁茂に埋もれてしまったあのアンコールワットのように、またもやかび臭い無人の域に戻っていきそうだ。一階の整理は、本だけは本棚に押し込めたが、昨秋以来ほとんどストップしたままなのだ。二匹の猫たちが格好の遊び場にしている。まっ、あわてることもないか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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