本当は昨夜の大地震について書こうとしたのだが、幸い大きな被害もなかったので、無事を感謝しつつ別のことを書く。
数日前から山崎豊子の『大地の子』を読み始めた。劇化されたNHKテレビの方はたぶん全編観たと思うが、小説は今回が初めてである。バッパさんの書棚にあった全四巻の文庫本を先日見つけたのである。主人公陸一心が文化大革命のときに小日本鬼子としてスパイの濡れ衣を着せられ、僻地の労働改造所送りになるところから小説が始まる。そして「第二章 棄民」は、一転して終戦時の日本人開拓民たちの悲惨な逃避行が描かれる。
今までまともに向き合ったことのない過去が読んでいくうちに少しずつ蘇ってくる。むかしランペイの町を離れるときまでのことは『ピカレスク自叙伝』に書いたが、その後のことは書いていない。というより記憶がところどころ飛んでいて、書きようがなかったからだが。私たち一家の逃避行は、この小説の主人公たちのように悲惨ではなかったが、もしかするとそれは内蒙古にいた叔父の一家に合流するため、町の日本人たちとは別行動をとったせいかも知れない。このあたりのことはいつかバッパさんに確かめなければならないが……
ともあれ今いちばん感じていることは、山崎豊子も「棄民」という言葉で断罪しているように、日本政府あるいは軍部が中国人民に対して非人道的な犯罪を犯したと同時に、日本人開拓民に対してもおよそ信じられないくらい非人間的な裏切り行為に及んだということである。つまり自分たちの退路を安全にするために橋その他を破壊するなどして、明らかに開拓民たちを棄てたということである。(もっとも棄てられたのは、日本人だけでない。日本人の野望に巻き込まれた中国や朝鮮の人たちはいまだに当然の補償を受けられずに高齢を迎えている。)
ランペイから叔父の住む張北へはどういう経路を辿り、合流してからはどのような逃避行だったのか。たしか奉天だったと思うが、日本閣という大きな建物での避難所生活、従弟のMちゃんの下痢(赤痢?)そして衰弱、女たちはみな坊主頭になったこと(バッパさんも!)、統制のとれた八路軍よりも数段粗暴なロシア兵たちの襲来(ある日高い窓から蝟集した戦車を見ていた遥かな記憶)……
死ぬ前にぜひ過去のこの空白部分を埋めたいと思い始めている。と同時に、いつの時代にあっても国が国民を守ることなどないことを肝に銘じておきたい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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