初めはほんの一時的な仮住まいのつもりであった。しかし移り住んだ新しい家で、小さな部屋を作ったり、窓を開けたり、飾りつけをしたりしているうち、だんだんと愛着を感じ始めた。そのうち、なぜ訪問客のために、ボタン一つで見たい場所に移動できるしかけとか、入り込んだ先から、やはりボタン一つで入り口に戻れる装置など作る必要があるのか、などと考え始めた。つまりどうしてそこまでサービスしなければならないのか。こちらは長年苦労してためたものを、無償で提供しているのに…。
新しいホームページの話である。友人たちは、せっかくの作品や文章を、より多くの人に見てもらうには、お仕着せのプログラムではなく、市販のソフトを使って、もっと見やすいページ作りをしたら、と勧めてくれる。そう言う彼らのページは確かに見やすいし、サービスが行き届いている。
要は、億劫なのだ。でも、先日、年齢は息子よりずっと若いがパソコンでは師匠格の友人が言ったように、今ひとつの壁にぶつかっているのかも知れない。億劫がらないで、思い切ってこの壁を乗り越えてみようか。なんだかそんな気がしてきた。
ところで、昨日、娘と K. I 君が予定通り車で来てくれた。いや予定よりも早く着いた。東京近郊の K 市から4時間で来たのだ。2500ccの Cefiro に乗って。スペイン語科を出た娘も、もちろん彼も、Cefiro がスペイン語で「西風」「微風」を意味するなんて知らなかったようだ。
何をつまらぬこと言っているんだろう。大事なことは、彼が雑談の途中、突然居ずまいを正し、きっちりこちらの目を見て、娘との結婚の許可を求めたことだ。もちろんこちらに異存があるはずもない。初対面ながら、彼の誠実さはしっかりこちらの胸で受け止めていたから。
4時ごろ、二人は帰っていった。白いセフィーロに乗って。いや正確に発音すると、セフィーロじゃなく、セにアクセントを置いてセフィロと言わなくちゃならないのだ。なにをまたくだらぬことを……おぬし、いささか狼狽しているな。いや、ただ嬉しいだけよ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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