セフィーロじゃなくセフィロ

初めはほんの一時的な仮住まいのつもりであった。しかし移り住んだ新しい家で、小さな部屋を作ったり、窓を開けたり、飾りつけをしたりしているうち、だんだんと愛着を感じ始めた。そのうち、なぜ訪問客のために、ボタン一つで見たい場所に移動できるしかけとか、入り込んだ先から、やはりボタン一つで入り口に戻れる装置など作る必要があるのか、などと考え始めた。つまりどうしてそこまでサービスしなければならないのか。こちらは長年苦労してためたものを、無償で提供しているのに…。
 新しいホームページの話である。友人たちは、せっかくの作品や文章を、より多くの人に見てもらうには、お仕着せのプログラムではなく、市販のソフトを使って、もっと見やすいページ作りをしたら、と勧めてくれる。そう言う彼らのページは確かに見やすいし、サービスが行き届いている。
 要は、億劫なのだ。でも、先日、年齢は息子よりずっと若いがパソコンでは師匠格の友人が言ったように、今ひとつの壁にぶつかっているのかも知れない。億劫がらないで、思い切ってこの壁を乗り越えてみようか。なんだかそんな気がしてきた。
 ところで、昨日、娘と K. I 君が予定通り車で来てくれた。いや予定よりも早く着いた。東京近郊の K 市から4時間で来たのだ。2500ccの Cefiro に乗って。スペイン語科を出た娘も、もちろん彼も、Cefiro がスペイン語で「西風」「微風」を意味するなんて知らなかったようだ。
 何をつまらぬこと言っているんだろう。大事なことは、彼が雑談の途中、突然居ずまいを正し、きっちりこちらの目を見て、娘との結婚の許可を求めたことだ。もちろんこちらに異存があるはずもない。初対面ながら、彼の誠実さはしっかりこちらの胸で受け止めていたから。
 4時ごろ、二人は帰っていった。白いセフィーロに乗って。いや正確に発音すると、セフィーロじゃなく、セにアクセントを置いてセフィロと言わなくちゃならないのだ。なにをまたくだらぬことを……おぬし、いささか狼狽しているな。いや、ただ嬉しいだけよ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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