二三日前から左上の歯か歯茎のどこかが沁み始め、たぶん疲れが溜まったせいで、まだ残っている神経が痛むのだろう、と思っていた。しかし昨夜になっていよいよ痛さが加わり、これは疲れなんてものではなく、新たに虫歯ができたのでは、と思いはじめた。
水を口に含むとそのときだけ痛さが引いていく。しかししょっちゅう水を飲むわけにもいかないので、少し我慢してみた。すると次第に痛さは増していくが、ピークというのか臨界点みたいなものがあって、それを過ぎると次第に痛さは緩みはじめる。そんなことを繰り返しているうち、快感にはほど遠いが、しかし少なくとも痛さがさらにエスカレートしていき、もう緩まることはないのでは、という恐怖感は消えていた。
女性に比べると男性ははるかに痛さに弱い存在である。とくに私自身、痛さにはだらしないほど弱いようだ。青年時のある時期、苦行の真似事として鉄条網のようにとがった針金の帯を腹に巻いたり、硬い麻縄で縒った鞭で背中を打ったこともあったが、そのころ、苦痛とか死が一向に怖くなかった。たとえ拷問されてもかなり抵抗できたのではなかったか。
しかし今は見事なまで、すべてに亙ってだらしなくなり、ちょっとの痛さにもこらえ性が無くなった。だからたとえどのように微細なものであれ、持病から来る痛さを、四六時中こらえている人を無条件に尊敬してしまう。このように苦痛を避けまくる生き方そのものは、まさに死や病気や苦痛をただただ否定すべきものとする近代人の生き方そのものであって、もしかするととんでもない思い違い、心得違いなのかも知れない。
ともあれ、八月末までお世話になった H 歯科に無理にお願いして、今日の夕方、神経を抜いて (?) もらってきた。ありがたいことに痛みは嘘のように消えている。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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