苦痛と苦行

二三日前から左上の歯か歯茎のどこかが沁み始め、たぶん疲れが溜まったせいで、まだ残っている神経が痛むのだろう、と思っていた。しかし昨夜になっていよいよ痛さが加わり、これは疲れなんてものではなく、新たに虫歯ができたのでは、と思いはじめた。
 水を口に含むとそのときだけ痛さが引いていく。しかししょっちゅう水を飲むわけにもいかないので、少し我慢してみた。すると次第に痛さは増していくが、ピークというのか臨界点みたいなものがあって、それを過ぎると次第に痛さは緩みはじめる。そんなことを繰り返しているうち、快感にはほど遠いが、しかし少なくとも痛さがさらにエスカレートしていき、もう緩まることはないのでは、という恐怖感は消えていた。
 女性に比べると男性ははるかに痛さに弱い存在である。とくに私自身、痛さにはだらしないほど弱いようだ。青年時のある時期、苦行の真似事として鉄条網のようにとがった針金の帯を腹に巻いたり、硬い麻縄で縒った鞭で背中を打ったこともあったが、そのころ、苦痛とか死が一向に怖くなかった。たとえ拷問されてもかなり抵抗できたのではなかったか。
 しかし今は見事なまで、すべてに亙ってだらしなくなり、ちょっとの痛さにもこらえ性が無くなった。だからたとえどのように微細なものであれ、持病から来る痛さを、四六時中こらえている人を無条件に尊敬してしまう。このように苦痛を避けまくる生き方そのものは、まさに死や病気や苦痛をただただ否定すべきものとする近代人の生き方そのものであって、もしかするととんでもない思い違い、心得違いなのかも知れない。
 ともあれ、八月末までお世話になった H 歯科に無理にお願いして、今日の夕方、神経を抜いて (?) もらってきた。ありがたいことに痛みは嘘のように消えている。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク