十時ころが来る。F町からの二人(君と君)は、十時半の電車で来るらしい。二人はパソコンを持ってくるので、この雨の中では大変だろうと、喜彦君を乗せて駅まで迎えにいくことにしたのである。
 原町終着の電車で下りてきた二人とは私は今日が初対面。真面目そうな高1と高2の男の子で、彼らとはうまくやっていけると最初から確信できた。
 下の部屋を少し片付け、パソコン設置の場所の確定、そしてどういう規模でのインターネット運営か、そのために必要な機器はどの程度にすべきか、彼らに相談してもらう。正直言って、彼らの会話の内容は半分、いや三分の二は分からない。二階の私のパソコンから真下のパソコンに繋ぐことになるだろう。彼ら自身がそれぞれ持ち寄った部品で組み立てたパソコン一台と、私がその費用を受け持つディスク・トップのパソコンと都合二台のパソコンを用意しての発足となる予定。明日がお父さんと一緒に車で仙台市の専門店に行って、なるたけ安く機械を購入することになった。
 名称は初め「ドン・キホーテの会」を考えていたが、インターネットの世界での名称選びには注意しなればならないらしい。つまり「ドン・キホーテ」で検索すると、何千とひっかかってくるというのだ。なるほど「ヤフー」で検索したら、あの有名な量販店をはじめ無数のものがひっかかってきた。それで急遽考え直した。それが Medios Club である。本当は Club Medios の方がいいのだが、それだとなんだかバーの名前のようなので、Medios Club とした。
 かくして今日は、彼らと話し合ったり、手作りのあさりスパゲッティを一緒に食べたりの一日だった。彼らはどう思ったかは知らないが、私自身はまるで高校生に戻ったような(それはちと大袈裟だが)気分だった。妻も彼らの素直さに感嘆することしきり。前から漠然と願っていたことが、今日一歩現実化へと踏み出したわけだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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