「まちづくり企画課」というところからアンケート用紙が送られてきた。市町村合併についてのものである。同時に回覧板で「新市将来構想」なる小冊子が届けられた。実は今まで合併問題は他人事としてまったく考えたことが無かった。福島県の矢祭町というところが国民総背番号化(あれ正確には何ていったのでしたっけ?)に反対を表明し、合併にもなびかないというのを新聞やテレビで見て、ほほーやるじゃないか、と思っていたくらいである。
 アンケートに答えなければならない日が近付いてきたので、「新市将来構想」なるものをざっと読んでみた。いいことづくめである。少子化、不況、生活圏の拡大という時代の流れの中では、合併も止むなしかな、とほとんど思いかけた。しかしいざアンケート用紙に書き込む段になって、待てよ、ちょっとおかしいな、と思い始めた。だいいち市が公金を使って宣伝する「新市構想」なるものには、これまでの話し合いの中でとうぜん表明された反対意見や危惧、合併に伴うデメリットのことなどが一切切り捨てられているのはどうしてか。これまでの過程で熱心に話し合ってきた当事者たちには自明なことでも、初めに合併ありきの説明では、一般の市民にとって公平な判断資料とは絶対に言えないはずだ。
 根本的な疑問。地方自治の新しい幕開けを喧伝し、指導するのが、またもや「お上」であるというのは、どう考えたって胡散臭い。そう考えていくと、あちこちの町や村で始まっている防犯隣組みたいなものまで含めて、一見良さそうに思えるものでも、よほど警戒しないと先々とんでもないものになっていく可能性大である。イラク問題だって、もっともらしい「大義」や「危惧」に振り回されているうち、いつの間にかのっぴきならぬ事態を迎えたではないか

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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