本当はバッパさんも今日「君仙子展」を見る予定だったが、直前にリサイクル関係のグループから誘いがあってそちらの方に出かけていってしまった。これに限らず、土地の文学サークルの合評会には出るは、老人会の忘年会に参加するは、とにかく声がかかればほいほい出て行く。隠居などというものはあの人とは(あっすみませんバッパさんのことです)無縁らしい。その凄まじいまでの糞エネルギーにはほとほと感心する。
 そんなこんなで、代わりに妻を連れて行くことにした。展示物を一渡り見たあと、私は二階の「島尾敏雄を読む会」に出て、妻はその間、下の図書館などで時間つぶしをすることになった。さてその会の今日のテーマは、島尾敏雄の『忘却の底から』の中の、母親に関する叙述をめぐってだった。もともとこのエッセイ集は、晶文社全集の月報に連載されたもので、島尾敏雄の一種の自伝になっている文章群だが、今回初めてきっちり読んだ。そして驚いた。彼のいわゆる小説作品に決して劣らない、というより私見ではそれよりはるかにと言ったら故人に悪いが、文学的にもボルテージの高い「作品」だと思った。
 とりわけ母親の思い出を綴った部分は、大正から昭和初期を生きた、一人の地方出身の『女の一生』を見事に描いた作品である。そして懐かしい相馬の昔が生き生きと描かれていて感動させられる。次回まで全員が読んでくること、そしてこれをめぐって話し合うことになった。また参加者の一人の発案で、来春、島尾作品に描かれた場所を、自転車で、弁当持参で廻ってみようということが全員一致で決まった。今から楽しみである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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