スペインの爆破テロ直後、マドリッドに入った大江健三郎氏は、スペイン語に訳された自作『宙返り』に関して集まった記者たちから、彼らも参加したテロ反対の大行進の話を聞く。「とくに “ケータイ” で連絡しあう若者らの姿が、間近に迫っている選挙の、イラク撤兵を公約した野党の勝利を予告していた、と」。
今朝の「朝日」の大江氏のエッセイ「テロへの反撃を超えて」の最後は、恩師 渡辺一夫への次の言葉で終わっている。「あなたの暗い予見よりさらに暗く、二十一世紀は不寛容の全面対決に向かいつつあり、この日本も戦列に加わっていると訴えたい思いです。しかし、その国に、先生は知らないメールを盛んに使って、寛容を世界に発信する、新しい市民たちが出て来ているとも付け加えねばなりません」。
ひとは、いま自分の身にふりかかっていることが、前代未聞のまったく新しいものと思いがちだが、そんなことはない。愚かな人間たちは、同じような愚行を気が遠くなるような頻度で、性懲りもなく続けてきたのだ。
そう考えると、無性にルイス・ビーベスが読みたくなって本棚に走った。『トルコ支配下のキリスト教徒の現況について』(一五二六)、『人類の協調と不和について』(一五二九)、『平和の回復について』(一五二九)など、あの不寛容と狂気が渦巻いた十六世紀の真っ只中で、寛容と正気を説いたビーベスの言葉をじっくり読み直してみたくなった。
そして、若者と “ケータイ”(インターネット)が、真の pacificación(平和の回復)にどう役立ってくれるか、その可能性をさらに考え続けたいと思った。
2004/4/13
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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