インディアンを人間と認めるまで

今日はいつもより暑いなーと思っていたら、夕方のテレビで、今日相馬は夏日でした、と言っている。原町市は相馬市より少し南にあるから、とうぜん夏日だったわけだ。家の近くの桜たちも葉桜状態になってきた。通りから我が家に通じる路地入り口のエニシダもところどころ葉っぱが見え出した。つい数日前までは全面真黄色だったのに。来年を待とうか、と考えたが、ともかく今年のものを撮っておこうと、朝食後、カメラを持ち出した。フロントページの写真がそれである。
 人質解放は、いま(午後六時五十分)になってもまだのようだ。ニュースでは、小泉がチェイニーに会って、さらなる協力を願ったそうだ。バッカじゃなかろうか。今回の開放への道筋をつけてくれたのは、明らかにイラクの宗教指導者たちなのだから、先ずは彼らに向かって、謝意を表明し、なおいっそう開放を確実なものとすべく、さらなる尽力を願うべきではないか。下手にアメリカがしゃしゃり出た場合の危険を避けるべきなのはもちろんだが、受けた恩義に丁重に感謝することは、これ人の道でっせ。
 相手はたかがイスラムの指導者あるいは部族長たちだから、まともに相手にするまでもないだと? 君、どこまでヤンキー魂に毒されてんの? ハリウッドの西部劇映画が、インディアンを人間と認めるまで長ーい時間がかかったが(それでも偏見は少しも減少しない)、イスラム教徒のうちに人間を発見するまで、いったいどのくらいの時間がかかるか予想もつかない。
 純一郎よ、あんた自分を何様と心得てる?俺からすれば、ヤンキーかぶれのkidにすぎないぜ。ギンミー・チョコレートのガキよ。女房役の福田? ほんと女房役さね、新聞記者たちに囲まれて歩くときのあの威張り腐った態度、でも所詮オバサンよ、しゃべり方から歩き方まで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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