ケータイと平和回復

スペインの爆破テロ直後、マドリッドに入った大江健三郎氏は、スペイン語に訳された自作『宙返り』に関して集まった記者たちから、彼らも参加したテロ反対の大行進の話を聞く。「とくに “ケータイ” で連絡しあう若者らの姿が、間近に迫っている選挙の、イラク撤兵を公約した野党の勝利を予告していた、と」。
 今朝の「朝日」の大江氏のエッセイ「テロへの反撃を超えて」の最後は、恩師 渡辺一夫への次の言葉で終わっている。「あなたの暗い予見よりさらに暗く、二十一世紀は不寛容の全面対決に向かいつつあり、この日本も戦列に加わっていると訴えたい思いです。しかし、その国に、先生は知らないメールを盛んに使って、寛容を世界に発信する、新しい市民たちが出て来ているとも付け加えねばなりません」。
 ひとは、いま自分の身にふりかかっていることが、前代未聞のまったく新しいものと思いがちだが、そんなことはない。愚かな人間たちは、同じような愚行を気が遠くなるような頻度で、性懲りもなく続けてきたのだ。
 そう考えると、無性にルイス・ビーベスが読みたくなって本棚に走った。『トルコ支配下のキリスト教徒の現況について』(一五二六)、『人類の協調と不和について』(一五二九)、『平和の回復について』(一五二九)など、あの不寛容と狂気が渦巻いた十六世紀の真っ只中で、寛容と正気を説いたビーベスの言葉をじっくり読み直してみたくなった。
そして、若者と “ケータイ”(インターネット)が、真の pacificación(平和の回復)にどう役立ってくれるか、その可能性をさらに考え続けたいと思った。
2004/4/13

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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