今日もネット古本屋さんから本が送られてきた。明日からいわきの姉の家に泊まりに行くバッパさんを、連休最終日に迎えに行くだけなので、机の周りに積まれた本を読む時間はたっぷりある。といってこちらは毎日が休みみたいなものだから、連休といったっていつもとリズムが違うわけでもない。ということは、たいして読めないということか。
ところで今日届いたのは、埴谷さんの『螺旋と蒼穹』、立花隆との対談『無限の相のもとに』、安岡さんの『流域紀行』、『絵のある日常』の4冊である。注文してまだ届かないのが7冊ほど残っているが、全部届くまではなんとなく落ち着かない。それでこの到着ラッシュ前に読みかけていた吉本隆明さんの新著『「ならずもの国家」異論』に戻ることにした。
吉本さんなどと呼んだが、親しいお付き合いがあるわけではない。お会いしたのはたったの一回。いまから四〇年ほど前のある夜、田端だったかのお宅に、島尾敏雄さんご夫妻とマヤちゃんに連れられてお邪魔したことがあるきりである。そのころは、今を時めく吉本ばななさんは幼稚園児で、お姉さんは小学校の低学年ではなかったか。お訪ねしたとき隆明さんは外出中だったが間もなく帰ってこられた。確か新装なった『文藝』で江藤淳と対談をしてきたところだ、とおっしゃったように覚えている。
一時期、『擬制の終焉』など、吉本さんの本を熱心に読んだが、さしたる理由があったわけではないがいつの間にか読まなくなってしまった。その後、水難事故であやうく溺死されるところだったと新聞かテレビで読むか見るかしたが、もちろん今でもお元気に執筆活動をされている。同年代の作家や評論家たちが次々と亡くなっているので、この硬骨の詩人・評論家にはもっと長生きしていただいて、いよいよおかしくなってきた日本に苦言を呈していただきたいものである。
今ふいに思い出したが、昔々、安岡章太郎さん宅にお電話しようとして、まちがって吉本さん宅にかけたことがあった。そのとき、「安岡さんのお宅ですか」という問いかけに、「いいえ、吉本です」と穏やかに応えてくださった彼の声を今でも覚えている。実はそのころ、手帳の番号控えミスで、同じ間違いをもう一度やってしまったのだが、二度目のときも同じように穏やかな返事が返ってきて、偉い人はいつも偉いんだな、と変に感心したことを思い出したのである。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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