昨日に引き続き、誠一郎叔父の詩を書き写す。おそらく当時満州に渡った多くの青年たちと共通する語彙を並べた詩もどき(むしろ歌詞)であろうが、当時の叔父の胸のうちを去来する思いを考えると、よくぞ残っていたなと感謝したい。
一
大いなる哉満州は碧空緑野三千里
興安嶺※を席巻し渺茫として果もなし
嗚呼人生の朝にして真紅の血潮音高く
無我至純なる若人の天かくる可き天地なり
二
城頭弦月傾きて吸血のチミ跳梁し
曠野満目青ざめて盛京の影もなし
嗚呼億万の民生に自治の心呼び起し
東天紅を告ぐるべき久遠の任務吾に在り
三
自ら治むる精神の透徹一呵するところ
暗雲忽ち消え去りて 旭光亜地輝かん
嗚呼さかんなる吾等哉起ちて理想の旗の下
協力一致東洋に 自治の楽土をうち建てん
自治の楽土を打建てん
次のものは未完のものらしい。
一
満蒙百里果しなく
酷熱燃ゆるノモンハン※※
兵も軍馬も喘ぐとき
夏草香る将軍廟
※中国東北部の高原ないし丘陵性の山系。西側を北東方向に走る延長約千二百キロメートル(標高一一〇〇~一四〇〇メートル)の大興安嶺と、北部で南東方向に転じて黒龍江沿いに走る延長四〇〇キロメートルの小興安嶺とに分れる。
※※中国東北部の北西辺、モンゴル国との国境に近いハルハ河畔の地。一九三九年五月から九月中頃まで、日ソ両軍が国境紛争で交戦、日本軍が大敗を喫した。[広辞苑]
佐々木 孝 について
佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。