昨日の文学散策の最後は、島尾敏雄が幼少期に休み毎に過ごした井上家の本家だった。あいにく近くで水道工事をやっていたので、車を参加者の一人(実は同じ井上家に属する民子さん)の駐車場に止めて少し歩き、懐かしい坂を上っていった。なぜ懐かしいか。そこは今から半世紀以上も前、私自身が半年ほど過ごした家だからだ。小学五年の秋、帯広の家をたたんで、一家してバッパさんの伯父にあたる松之助さんの家に転がり込んだのだ。その年のうちだったか年が明けてからだったかは覚えていないが、当時神戸に住んでいた敏雄さんが訪ねてきた。もっとも、覚えているのは彼の顔ではなく、五右衛門風呂から上がってきた彼の継ぎの当たった股引だけだが。
一度に十人以上もの人が、中庭だけとはいえどかどかと入り込んでいったのだから、当主の英俊さんに悪いな、と思っていたら、彼の妹に当たるセツ子さん(彼女も受講者)が、兄は喜寿の記念に夫婦して旅行に出たから誰も居ない、と教えてくれた。私たち一家が居候をした隠居は今は物置になっているらしい。五右衛門風呂は、ダンス教師の民子さんの家がもらい受け、十年近くも使ったそうだ。黒光りして風格のあるいい風呂釜だった。
庭はずれにある外便所は、今はさすがにサッシなど入れてきれいになっていたが、その前の石榴の木は昔のままだった。枝先に二つ実が残っている。もう腐りかけだろうと思って見ていたら、参加者の一人が「今がたべごろだよ」と言いながら、そのうちの一つをひょいともいで渡してくれた。なるほど手にとって見ると、大粒の赤い実がみっしり詰まっている。
石榴などめったに口にしたことがないが、数年前八王子のスーパーに並んでいたものを懐かしく思って買ってきたことがある。確かに見栄えのいい大きな実だったが、変に甘く大味だった。昔、北海道では眼にすることも無かったその不思議なものを初めて味わったときの、あの口の中ではじけるような酸い味は無かった。
実は昨日、後部座席に置いたまま、その石榴のことはすっかり忘れていたのである。今日になって、ふと思い出して急いで取りに行った。幸い瑞々しさを一向に減じていない石榴の実が午後の光の中で、まるでルビーのように輝いていた。簡単に水洗いした後、妻と二人、ゆっくり味わってみた。半世紀も前のあの懐かしい味が口中に広がった。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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