またやっちゃった!

そこまではすべて順調だった。それで調子に乗ったわけではないが、いささか油断してたことは間違いない。
 まずローソンに寄って、北海道帯広の健次郎叔父あてに宅急便であんぽ柿を送った。ついで量販店ジャストに行き、猫たちのための缶詰、バッパさんの部屋入り口に付ける手すり(?)などを買い、次いで海産物を豊富に揃えた小さな市場に寄り、最後は公園に行って散歩するはずだった。でもその前に、昭島に住む中学校時代の同級生から送られてきたまま、まだ渡さないでいた君のための千社札を届けようと思ったのだ。
 あいにく君は不在。でも娘さんらしき人に言付けて辞去し、門口に停めた車の中の妻と頴美に手を振りながらなだらかな坂を降りきったところで、あっという間に転倒したのだ。コンクリートの上に砂がまかれた状態だったので、ちょうど重心をかけた左脚がものの見事に滑って、左の頬骨から着地した感じになった。これは断じて歳のせいではない。昔少し柔道をやったことがあるので、たいていこういう時は人より上手に受身の態勢になるはずである。しかしその時は、受身の余裕など一切なく、あっという間に地面に叩きつけられてしまったのだ。
 頭を強打しなかったのが不幸中の幸い。でも頬骨から地面に落ち、ついでに左目のすぐ横がコンクリートの地面を擦ったらしく、血が出始めた。あわてて車から出てきた妻と頴美の手前、なんでもないなんでもない、を繰り返したが、もしかして病院に行った方が良くはないか、と一瞬思った。しかし7、8年前、八王子の自宅付近でバイクで転倒し、左肩を強打し、腕時計をバラバラにし、ズボンを数箇所切り裂いた時も、結局病院に行かないで直した俺だ、これしきのことで病院に行ってられるか。
 妻が泣き出し、頴美はしきりに病院行きを勧めたが、ゆっくり塵を払って車に二人を乗せて帰宅した。さすがその日の散歩は中止した。家に帰ってすぐ頴美が消毒してくれたが、頬骨のあたりが腫れないよう、冷蔵庫に捨てないで取っておいたアイスノンで冷やすことにした。
 繰り返すが、これは決して歳のせいでコケたのではない……いや、そんなことどっちでもいいか。これからは足元に注意して、とりわけコンクリートの上にうっすら砂が載っているところでは、氷の上を歩く時のように決して踵からではなく、つま先から慎重に足を下ろすことにしよう。皆さんもあんじょう気ーつけなはれやー。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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