余秋雨精粋

余秋雨という作家のことは全く知らなかった。どこで初めて彼の名と出会ったのか、いつもの通り何となくインターネットを散策していたときに違いない。頴美に聞いてみたら、中国ではしばらく前から人気のある作家だとのこと。さっそく古本屋さんに注文したのが昨日届いた。『余秋雨精粋――中国文化を歩く』(新谷秀明他訳、白帝社、2005年)である。
 奥付の著書紹介はこうなっている。「1946年浙江省余姚生まれ。上海戯劇学院卒業後、同学院教授、院長を歴任。現在は執筆活動に専念。演劇理論の著作に『戯劇理論史稿』、『戯劇審美心理学』等、散文集に『文化苦旅』、『山居筆記』、『霜冷長河』、『千年一嘆』。『行者無彊』等がある」。
 今回手にした訳書は、最初の散文集『文化苦旅』の37編から19編を選んで訳出されたものという。さっそく冒頭の「道士の塔」を読んでみた。魯迅の作品を読む時にも感じられる、なにか緊迫した、それでいてある種の流儀に則った筆さばきの、安心して読める小気味のいい文章である。しかし内容は、1900 年、一人の道士・王円ロクによって発見された敦煌の遺跡から、貴重な経典やら絵画、彫刻、絹織物などが、欧米諸国そして日本の学者たちによって次々と国外に持ち出されてゆく顛末を憤怒をこめてたどったものである。
 だがたとえ海外流出を阻止したとしても、その価値に対して無知な海内のバカ役人どもによってとんでもない扱いを受けたのではないか。「結局どこに向かうべきなのか。こちらもだめ、あちらもだめ、私は隊を砂漠にとどまらせ、そしてこう大声をあげてひとしきり泣くほかはない。悔しい!」。近代中国の来し方を回顧するとき、心あるすべての知識人が等し並みに感じるであろう悔しさ無念さである。スペインについて書くことは泣くことである、と言ったララやウナムーノたちの歎きが連想される。
 余秋雨が歎いているのは、決して昔の道士や役人たちのことだけではないであろう。今や巨竜の歩みで文化的遺産を蹴散らして進む現代中国の道士や役人たちにもその怒りは向けられているはずだ。しかし彼の散文が多くの読者を獲得しているという事実に対しては悩める現代中国の良心を感じて、いささかの期待感を抱かせてくれる。原文では当分は読めそうもないので(まさかいつかは読みたいと思ってる?)、彼のもう一つの訳書『千年一嘆』をも取り寄せることにした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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