蔵書の行く末

先ほど、今日が2月29日で、今年がうるう年であることに初めて気づいた。というより、暦に限らず、大きく言えば天体の運行や宇宙そのものについてもまったくの無知で、ホーキンス博士については名前だけ、そして郷土の大先輩である埴谷雄高さんや荒正人さんの文学的(?)宇宙論を理解し共鳴できるのはいつの日のことかまったく見当もつかない根っからの天文オンチである。
 ところでなぜうるう年を意識したかというと、今日これを書くと、先月の21回を越えて何年ぶりかの新記録をマークできるからだ。書けばいいっちゅうもんではないけれど、執筆再開時に願った目標、すなわちコンスタントに書き続けるという目標はいちおう軌道に乗ったわけだ。と言って今日も何か書く当てがあって机、いやキーボードに向かったわけではない。こういう時は、ばっぱさんがらみに限る。
 いつもの通り3時ちょっと前にばっぱさんの部屋に行ってみると、なにやらベッドに寝っころがって新聞を読んでいたらしい。振り返りざま言った言葉は「駅前図書館には反対だな」。なんとまあこんな歳なっても町の政治に熱心だこと。どうやら参加業者がいないため着工が延び延びになっていた図書館の入札が先日行われ、ようやく竹中工務店東北支店が10億2900万円で落札したらしい。
 「そんなことどうでもいいじゃない。それぞれ一生懸命やってるんだから」。すると、町の政治に一切興味を示さない息子にばっぱさんの矛先が向かってきた。「それでー、おめーのあのいっぱいある本どうすんの?」。前から息子が八王子から持って来た本の行く末をしきりに気にしている。「あのねー、おれは町の図書館についてとやかく言わないけど、自分の本についてもとやかく指図されたくないんだな。だいいち、公共の図書館なんて、責任者や係りが代わればそのつど扱いが変わってしまう。俺が生きてるあいだは、あのぼろ屋で大事にするし、子供や孫が引き継いでくれるなら、その方が本にとっては幸福なんだよ。それにいまでもインターネットに全蔵書を公開していて、本当に必要な人には実際に貸出しもしてるんだよ」(なぜ駅前図書館に反対なのか詳しく聞いたことはないが、たぶん「はこ作り」の無駄を言っているのだろう、旧NTTの建物を図書館にしろ、などと息まいていたことがあったから。でもばっぱさん、それ他人の物ですよ)。
 ネットで購入した本の中には時おり著者サイン入りの寂しそうな本や、いっときは所有者のはるかな夢想を掻き立てるいわば関所手形だった蔵書印が押された本が混じっていて、やるせない気持ちにさせられる。そんなことを考えたら、いつかは公共図書館への寄贈も…しかし根本的な問題が二つある。第一、現在の書籍の耐用年数があまり無いこと(もしかすると百年を切るのでは)、第二、この方がもっと現実的だが、ばっぱさんの言うように「いっぱい」あるわけではないということ。
 ともあれこれで新記録達成!(なんだい言いたいのはそっちの方かい!)
 (※あとからよく見たら、先月と同じ21回でした。新記録ではなくタイ記録でした。お騒がせしました。)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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