アポロンとディオニソス

人間を類型で理解するのは、簡便であると同時に危険なことだが、それをしっかり頭に入れた上で応用すると、混沌として見分けがつかなかったものが実にすんなり理解できることが多い。もちろん当初の約束どおり、時おり出発点に戻るという往復運動が必要であるのは言うまでもない。つまり固定化は御法度。
 むかしドン・キホーテとハムレットという対照的な二つの人間類型を見事に使った論説に感心した覚えがある。さてそれは誰の意見だったろう。同名の有名なエッセイを書いたツルゲーネフのそれだったか、それともそのツルゲーネフの見解をダシに自説を展開したマエストゥのそれであったか。お外も暗くなったし、階下の書棚を探すのも億劫なので、確認作業はまた別の機会ということにして、うろ覚えのまま、その感心した見解というものをなぞってみよう。
 ドン・キホーテもハムレットも、それぞれ当時の、つまり16~17世紀のスペインとイギリスを具現する人物である。一見してドン・キホーテは行動的で活力に満ちており、それに対してハムレットは優柔不断で敢えて行動に出ることはない。ところがそこからが面白い。つまり彼らの物語を読む読者、あるいは観る観客は、彼ら登場人物のそういう態度やら性格に対してウンザリしたりヤキモキしたり、それら主人公たちとはまったく逆の反応を示すのだ。
 つまり一方に対しては、「もう冒険行脚はいいよ、ゆっくり休もうよ」と応じ、他方に対しては「おいおい、もういいかげん屁理屈言わないで行動しろよ」と野次を飛ばす。つまりそれこそ当時のスペイン国民の真実の声であり、当時のイギリス国民の本音ではなかったか。事実、太陽の沈むところのない大帝国スペインは以後疲弊のあまり没落の一途をたどることになり、代わって大英帝国が次々と覇権を握っていくのだ。
 ところでなんで急に人間類型のことを思いだしたかというと、今週土曜のシンポジウム「島尾敏雄と小川国夫、そして『青銅時代』」の参考資料を作成する過程で、これら二人は互いに惹き合うところがありながら、互いに異質なものを持っている。つまりこれぞ人間類型の力学に当てはまるケースではないかな、と思ったからである。出発点はきわめて単純である。すなわち『アポロンの島』の作者・小川国夫はもちろんアポロン、そしてある意味で破滅型で混沌としている島尾敏雄はディオニソスである。
 さてアポロンはギリシア神話で、光明・医術・音楽・予言を司る若く美しい神であり、ディオニソスは酒の神、別名バッコスだが、ニーチェ哲学では、人間の自発的・非合理的・反修養的な創造性質を持つものとされる。そしてこのアポロンとディオニソスの気質が、芸術作品の鑑賞とその作者のタイプを理解するのに大いに助けになるのだ。よく例に出されるのはたとえば画家ではラファエロとミケランジェロ、音楽家ではモーツァルトとベートーベンなどで、両者の比較は、アポロン型とディオニソス型の枠におさまるものと言えよう。
 もちろんここまではまったくの思いつき。でも今度のシンポジウムで、コーディネーターの特権を生かして、問題提起をしてみようか。ニーチェにも詳しい三光長治氏、そして向かうところ敵なしの論客・近藤晴彦氏あたりに一蹴されるだろうな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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