ばっぱさんの市内遊覧

午前中は息子たちが訪ねたので、今日は休みにしようかな、とゆっくりしていたら、施設からの電話。出てみるとばっぱさん。いつ来んだー、待ってっとー、となんだか怒ったような口調。どうも言ってることが分からない。ともかく今から行くから、と電話を切った。ふと見ると留守電の緑色のランプが点滅している。施設の係りの人からだったが、操作が分からないのか用件を言う前に切れている。ともかく駆けつけてみた。用件は、と言うと、今日は天気がいいから外さ連れてけ、とのたもう。
 以下はばっぱさんへの説教。いいかいばっぱさん、家族に毎日来てもらってるおばあちゃんがばっぱさんの他にいるかい?今日だって午前中に孫夫婦が来たべ?ばっぱさん、あんたはあまりに自己中心過ぎるよ。Eちゃん(嫁の名前)だって、撫順のお父さんが単車で事故を起こして、今病院で生死の境をさまよってんだよ。私だって一日中、Y(妻の名前)の面倒をみてんだよ。いわきの姉さんもいつも言ってっぺ、みーんなそれぞれ精一杯生きてんだどーって。
 するとばっぱさん、驚くほど素直に謝るではないか。悪かった、今後改めっから。今日は外さ出なくていい。こうあっけなく謝られると、さすがに可哀相になる。んじゃー上着着ろ、ちょっくら車でどっかへ連れてってやっから。でも外は風が冷たいから降りないで車の中でおとなしくしてんだど。そこの厚手の上着は着ていけ。
 さらにマフラーと手袋をつけさせて、車寄せのところまで腕をとって連れて行く。家内は助手席、ばっぱさんは後部座席にゆったり一人がけ。ところがいざ発車、という段になって、たまたま係員に付き添われて散歩していた一人のおばあちゃんが車のノブを放そうとしないのだ。認知症がだいぶ進んでいるのか声を出しているのを聞いたことがない。そしていつもだれかが付き添っているおばあちゃんなのだが、危ないから手を放しなさい、と言う付き添いの人の手を振り払うようにしてがんばっている。それで窓を開けて「おばあちゃん、ごめんねー、今度乗せるからね」と言うと手を離すふうなので、ゆっくり発進した。
 海に連れて行こうかな、と思ったけれど、どうも風が強すぎる。車の外に出ないのだったら、海浜公園に行ってもつまらない。それで見慣れたはずの市内観光に早変わり。ばっぱさんには不満かなと思いきや、ここは○○商店、ここは△△薬局、なんだべーこの店つぶれたのかな店仕舞いだと、などと記憶を確かめる風で飽きることがない。
 大きな土建屋さんの側を通る時など、ここの社長は親の七光りでここまで来たんだど、などと毒舌も吐き出した。ばっぱさんよ、いい歳こいてまで他人からそんな悪口言われてる人の身になってみー、というこちらの警告など上の空。機嫌よくミニミニ市内観光を終えて上機嫌で施設に戻った。こんなことで満足するなら、ばっぱさんよ、ときどきドライブさ連れてっからな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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