夜の森公園

最近の散歩のコースは、家とバッパさんの施設とのちょうど中間あたりに位置する夜の森公園である。むかしから当たり前のように夜の森公園と言ってはいるが、考えてみると不思議な命名である。ただしこの名称が珍しいと言うわけではない。もっと南の富岡町には桜の名所として名高い同名の公園がある。そちらの方は、旧小高町(現在は南相馬市小高区)出身の実業家・半谷清寿氏が1901年(明治34年)に作ったものだから、もしかすると原町区の夜の森公園もその半谷氏と関係があるのかも知れない。
 どちらにせよ、なぜ夜の森なのか。富岡町の公園には行ったことがないが、案内書によると、「4月になると、約500本のソメイヨシノが約2,500メートルにおよぶ道路の両側に立ち並び、東北一の [桜の] トンネル」となるらしい。わが夜の森公園はそれほどの規模ではないが、それでも開花時には約200本のやはりソメイヨシノが咲き誇る。
 公園といっても、高さ10メートルくらいの円形の小丘で、周囲はさて何メートルだろうか。天辺は直径200メートル、裾野(?)は周囲800メートルくらいだろうか。あくまで目測なので、それよりもっと大きいかも知れない。天辺の広場は中央に遊ぶ子供たちの銅像、それを囲んで舗装されたロータリー、そして一隅には滑り台や動物の彫像などがあって子供たちや、赤子を連れた若いお母さんたちの格好の憩いの場となっている。
 私と妻は、テニス場側の空き地に車を止め、先ずゆるやかな坂道を登って頂上の広場にたどりつき、それを一巡し、次は反対側にある坂道を下って、先日触れた弓道場横などを大きく迂回してまた車止めに帰ってくるだけである。その間千歩くらいか。本当は運動量としては少なすぎるのであるが、やらないよりまし、という気持でなるたけ毎日やっている。
 さてその広場の周囲には忠魂碑や聖徳太子碑、さらには神風特攻隊戦死者の記念碑など、合計20くらいの石碑が立っているだろうか。特攻隊隊員の記念碑がいくつかあるのは、戦時中、そこからすぐの雲雀が原周辺に陸軍の飛行場があったからである。これについては■氏の『■』(■社、1995年)に詳しいが、申し訳ないがいただいたままでまだ読んでいない。
 ちなみに彼には他に『■』や『■』など9冊に及ぶ郷土史ドキュメンタリー(彼の言によれば「■シリーズ」)があり、続刊予定のものがさらに3冊残っている。体調を崩されて刊行が遅れていたようだが、最近復調の知らせあり、ゆっくり計画達成されんことを祈っている。

【息子追記】文中の後半の一部箇所、思うところあり、伏字にした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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