今日は午前中天気もいいし、なんとなく肯定的な気分になって、久しぶりに装丁の仕事(?)でもやってみようか、と思った。たまたま机の上にあったパスカル『田舎の友への手紙』(森有正訳、白水社、1949年)が今日のターゲットである。
まず他の本の箱をバラした厚手のボール紙二枚を本に合わせて鋏で切り、裏表の薄い表紙にそれぞれ糊で貼り付け、次いで足元の紙袋の中から古い布切れ(今回は無地のキャラコ、たぶんそういう名前)を取り出し、それを本をすっぽりくるむぐらい大きさに切り、切ったものをていねいに糊付けていく。最後に背の部分と表紙に、題名や作者・翻訳者の名前を印刷した紙を貼る。全部で3、40分で、粗末な装丁の古本が、布表紙の立派な(?)本に変身。
たしか『パンセ』などパスカルの主要著書は、だれか別の人が翻訳していたはずだが、この本は珍しくあの森有正の訳、しかも最初の部分に50ページほどの本格的な解説が付いている。それをぱらぱらめくりながら、ぼんやりと考えた。以前だったら正統と異端など激しいせめぎ合いを興味深く読んだだろうな、しかし今はそんなことどうでもいいことのように思えてくる。
最後に勤めた大学に、カトリック正統派を自認するじいさんがいた。ある問題をめぐって対立したが、なんとも不思議な人だった。あの暗い情熱はどこから出てくるのか。いや思想的解明などという難しい切り口からではなく、そういう生々しい人間ドラマという意味では、今でも関心がある。まだわずか部分的にしか読んだことのない、二十世紀初頭のスペインで活躍したメネンデス・ペラーヨの『スペイン異端者史』全二巻のことや、揃えただけでこれまた読んでいない全十一巻の『キリスト教史』(平凡社)のことなどついでに思い出した。
そんなものを全部読むなんてことは考えずに、興味のあるところからでも拾い読みでもしてみようか。要するに、キリスト教に限らずすべての宗教が、血眼になって異端を排斥し、それと苦闘を繰り返してきた気の遠くなるような時間の経過自体が面白く思えてきたからだ。パスカルが当面したジャンセニズムもそうだが、歴史上次々と登場した異端者の群れ。
アタナシウス派とアリウス派の論争などせいぜい名前だけしか知らない論戦の数々も、人間の生という視点から見てみたら意外と面白いのかも知れない。そして現代、かつてのような勢いのある異端の動きは、少なくともキリスト教内部には見られないのは、はたして時代の成熟なのか、それとも宗教そのものの枯渇の現われなのか。あるいは表立つことをやめて、異端は内部深く進行しているのか。
かつて社会学の創始者オーギュスト・コントは、人間の文明段階を三つに分けたことがある。すなわち様々な人間的事象を人間自身に類比される存在や力(例えば神)に帰する神学的軍事的段階、次は「神」に代わって「自然」というような抽象的実態によって秩序規範や法制度を定める形而上的段階、そして最後に現象を観察し、そのあいだにある規則的関係を実証的に見出し、自然を支配する科学と産業の時代を考えた。
これでようやく人類にとって幸いなる「秩序と進歩」の時代が訪れたとするこのような超楽観的見解を信じる者など一人もいまい。この先行き不透明な時代を先導する思想や哲学はどこにあるのか。もしかしてわれわれは、これまでのさまざまな経験のなかにあったかも知れぬ問題解決のための貴重なヒントを見落としているのではないか。生き急ぐのではなく、過去の体験をじっくり反芻する余裕を持たなければならないのではないか。昨日からの語呂合わせではないが、アダージョすなわち緩やかに、進むべきなのでは。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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