くずし方手本

今日もバッパさんの本棚から、珍しい本を見つけた。文庫本を更に縦に少し延ばした大きさ(きまった言い方があるんだろうな)の、それでいて分厚い(560ページもあった)本である。初め表題が読めなかった。毛筆でくずし書きされていたからだ。表紙横には「婦人倶楽部十一月號附録」と書かれている。十一月號といっても昭和十一年の十一月号である。もともと家にあったものではない。誰にもらったのだろう。 
 薄い表紙の粗末な装丁とはいえ、560ページはまたずいぶん太っ腹な附録だこと。子供の頃の少年雑誌がやたら豪華な附録をつけた時代があり、時には雑誌本体より立派な附録をつけたものまであったが、昭和十一年(私の生まれる3年前だ)頃にも附録合戦があったのだろうか。
 表題の二番目の字がどうしても読めないが、あとはどうやら読解できた。「一■五千語くづし方手本」と来たからには、■は「万」以外にありえない。それで本文の「マ」のところを調べていくと、あったあった。やはり「万」である。「万」の旧字「萬」だとしても、どうやったらこういう崩し方になるのだろうか。ともあれ「萬」を使った熟語には、他に萬年筆,萬能、萬引、萬病などが載っている。なかなか便利である。これからくずし字で読めない時は、見当をつけて、この本を調べてみることにしよう。ちなみに、くずし字を書いた高塚竹堂先生とは何者か。インターネットには次のように紹介されている。

 「明治22年 (1889) 生~昭和43年 (1968) 3月歿。静岡県清水市に生まれる。本名は錠二。 戍申書道会・泰東書道院・東方書道会の創立に尽力し、役員・審査員を経る。国定教科書・台湾教科書を揮毫した。昭和24年、松本芳翠と共に書道同文会を創設。正統の書道を基礎として、和敬の精神と不断の研鑽により、風格ある書芸の創造を心掛けた。 また、アメリカ大使館付武官教官・学芸大学講師、日展審査員・同文会参与・書道連盟監事を勤めた。「竹堂書」の下に、朱文の「竹」の落款印が押されている。」

 むかし広島の修練院にいたころ、広大の聴講をしたことがあり、そのうちの一つが「古文書」に関する科目であったことを思い出した。あの時もう少し真面目に習っておけば良かったとつくづく思う。テレビの「なんでも鑑定団」とかの目利きが、掛け軸や箱の字を難なく読んでいくのを、いつも羨ましく見ている。
 ともあれこの附録は本文以外にも扉の広告が実に面白い。あの時代特有の髪型のふっくら美人がたらいと洗濯板を使っている絵はライオン洗濯石鹸の広告だが、胃腸病の薬「プロタミラーゼ」とは何だろう、とこれまたインターネットで調べたら、面白いサイトにぶつかった。「東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス 日本の新聞広告3000(明治24年-昭和20年)」である。当時の新聞広告がそのままファイルされている。まっ、調べることもないだろうが。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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