柿の実・柿の種

目の前の筆立てやら本立ての背などに所かまわず貼られた小さな紙片の一つに「柿の実・柿の種」と書かれている。自分で書いたのに、何のことか分からない。他の十数枚の紙片に書かれた走り書きの短文もしくは箇条書きの意味はだいたい分かる。締め切りを越えたのに未だ書き出せない小川国夫『或る聖書』についての断簡である。
 しばらく考えてやっと思い出した。それは新しいお菓子のことである。つまりある時、無性に干し柿が食べたくなって、しかし季節はずれの干し柿などどこにも売っていない。ネットで検索すると、市田柿を使った菓子を売っている店を一軒だけ見つけた。しかしかなりの高価で、郵送費など加算するととても注文する勇気が湧いてこない。そんなおり悔し紛れに考えついた干し柿ベースのお菓子のアイデアなのだ。
 七年前、郷里に移住するに際してひそかに願っていたことがある。それは、秋になれば近在の農家にたわわに実る柿を、思う存分安価で食べれるだろう、という目算である。しかしそれは見事に外れた。スーパーなどに出回る柿は、ほとんどが遠くはなれた他県のものである。発達しすぎるほど発達した流通機構のおかげで、味も見栄えもいい他県の柿が大量に出回り、味も見栄えも悪い地元の柿など今では誰も採るひとさえなく、秋空の下、鳥たちの餌になるならまだしも、大半は空しく立ち腐れていくだけなのだ。
 で、妄想した。あの柿たちを大量に買い集めて、機械で乾燥させ、それを粉末にして、味を調整しながら捏ね、可愛らしい干し柿状のお菓子に作り変えたらどうだろう。納得行く完成品にたどりつくまで、試行錯誤を繰り返さなければならないのは想定内のこと。季節限定のものではなく、一年中いつでも手に入る商品にするまで、技術的にも難しいところがあるだろう、でも粘り強くやれば、必ずや満足いく「柿の実」を開発できるだろう。
 だいいち「柿の種」がこれほど普及しているのに「柿の実」が無いのはおかしいではないか。それにご存知のとおり、「柿の種」は形だけは似ているが、どうせくず米で作った小さな煎餅であり、それだけでは淋しいので、ピーナツを申し訳程度に加えた偽物じゃないか。柿の「カ」の字も入っていない。産地偽装どころじゃない、立派な詐欺じゃないか。
 そこにいくと、新開発の「柿の実」は正真正銘の柿の粉で作られており、「へた」だけが「偽物」。でもその「へた」にしたって、相馬地方の「ひとめぼれ」から作られた実に良心的で美味な煎餅なのだ。長さ3センチ、幅2.5センチ、厚さ1センチほどの、しこしこした歯ざわりの、おまけに粉までふいている、本物そっくりのその小さな干し柿は、必ずや人気商品になり、「柿の種」以上に普及するであろう。開発者の私には思いもかけない大金がころがりこむだろうが、別に個人的な財産など欲しくはないので、老後の安定のために手元に少し残すだけで、あとは地元発信の文化事業に寄付しよっと。
 いや、その前に何人かの仲間を、つまり共同出資者と共同開発者を募らなきゃなんめえ。でも利益配分でもめっか?ここんところはよっくと考えなきゃなんめえ。なーんだかそう考えっと、やんだくなってきた。この話、無いことにすっぺ。スッペ作曲「詩人と農夫」じゃなくて、「詩人と柿の実」のお粗末ってかーっ!?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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