もしかすると一昔よりかはページ数が少ないのかも知れないが、それでも盛りだくさんの元旦の新聞もほとんど読まないで三が日が過ぎた。ただ一つ切り抜こうと思ったものがある。大江健三郎が読書について語っている記事である。師・渡辺一夫直伝の読書法は有名だが、今回の記事のなかで「萃点(すいてん)」という言葉が印象に残った。初めて見る言葉である。大江氏の説明によれば、鶴見和子の『南方熊楠・萃点の思想』から借りた言葉だそうだ。
ところで南方熊楠(みなかたくまぐす)という博物学者については、その奇妙な名前から気になっていた人物だが、今は彼については触れない。ただ1891年キューバに渡り、その地で地衣類新種を発見したかと思えば、独立戦争にも参戦して負傷したなど、数奇な経歴を持つ人らしい。
さてその萃点だが「脈絡がくり返し戻っていく場所」、「脈絡が重なりいちばん色濃くなっている場所」ということらしく、大江氏にとってそれは渡辺一夫、サルトル、加藤周一、サイードだそうだ。そして自分が萃点を基地として読んできたことに気づいたのは60歳を過ぎてからという。
スペイン思想研究者としての私の萃点は、さしあたってはオルテガやウナムーノ、そこから次第にA・カストロとビーベスへと移った時点で現役の研究者から身を引いたことになろう。そしてごくごく最近の萃点は、ペソアそしてA・マチャードということになろうか。ただこのところ反省しているのは、研究者現役引退がずいぶんと中途半端というか無責任な止め方だったな、ということである。つまり引退できるほどの実績を上げていないということ。もうすこし頑張らなければ、と思っている。
ところでその最近の萃点の一つペソアのことだが、大晦日ぎりぎりに英語版の『不安の書』が届いた。そして案じていたことが現実になった。つまりペンギンブックスの古典叢書に収められたその英訳版は、先日話に出したゼニス編訳だったことだ。そしてゼニスという人はポルトガル人でもなければブラジル人でもなく、なんとポルトガルに住みついたアメリカ人研究者だということが分かった(邦訳版にちゃんと紹介されていたのに見落としていた)。要するにスペインのアンヘル・クレスポ同様、このゼニス(Richard Zenith)も彼独自の編集方針で『不安の書』の英語版を作ったのである。
こうなればスペイン語版、日本語版、英語版を相互比較しながら読み込むことはまず無理で、それぞれ別個の作品ぐらいの気持で、気の向くままに読んでいくしかなさそうだ。もちろん偶然に当該箇所が他の版と照合できた場合には、それぞれの番号の上にでも、他の版の相当番号を書き加えるなどのことはしてみよう。つまりそれがスペイン語版5番だとしたら、英語版は○番、邦語版○番、という具合に書いておこう。まだ若かったらポルトガル版も揃えて、読み比べるのだが、欲張るのは諦めよう。
余談だが(この文章全体が余談だが)、紙装版のペンギンはさっそく上等な風呂敷を解体した見栄えのいい布で全身を包まれ、しっとり落着いた豪華本に変身した。ペソアばかりでは不公平なので、マチャードの散文一巻本全集も厚手の布で装丁された。『フアン・デ・マイレーナ』(二巻を合本にされた)はとっくの昔から豪華な革で装丁されている。
本だけ豪華にしても読まなければ意味が無い。とうぶんこの二つの萃点は不動のようだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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