愛のステージ・デビュー

今晩六時半から市民文化会館(愛称ゆめはっと)で、篠笛奏者デヴァ・ヨーコのコンサートがあり、演奏の最後の花束贈呈という大役(?)を、もう一人のご婦人と一緒に一歳半の孫娘愛がりっぱに果した。といっても舞台袖から演奏者のところまでは母親にだっこしてだが。その光景を、私と妻は舞台下手の袖のところで見ていたのである。
 と、なんだか謎めいたシチュエーションだが、種明かしをすればこうである。もう今から20数年前になるだろうか、デヴァ・ヨーコさんが毎週一回、東京から横笛の会会員に笛を教えに来た際、笛の会の世話役だったばっぱさんのところに泊ったそうな。それで今度の催しの世話役S・K氏のたっての願いで花束贈呈に曾孫が一役買うことになったのである。私たち老夫婦が舞台袖に居た理由は、客席での幼児同伴はできない規則なので、申し訳ないが愛を交代で(つまり母親と老夫婦とで)ロビーで面倒みながら最後の出(?)をまつか、それとも四人とも舞台袖で花束贈呈のときまで演奏を聴くか、どちらかにしてもらえないか、と言われ、それなら舞台袖でとなったのである。
 舞台袖で演奏を聴くという、めったにない経験をさせてもらったわけだが、肝心の花束贈呈で袖から舞台中央まで出て行くとき、もしかして愛は泣いたり駄々をこねたりしないだろうか、などという親たちの心配を、愛はいとも簡単に払拭してくれた。ふだん着ない青いワンピースなど着せられたものだから上機嫌で、スピーカーから聞こえてくる演奏に合わせて、舞台裏の廊下で踊ったりしてたそうだ(暗い舞台袖はさすがに怖がったので、途中から頴美と愛は舞台裏の控え室や廊下で待機していた)。
 さて演奏の方だが、篠笛特有の余韻嫋々たる、悪く言えば過剰なまでに情緒纏綿たる演奏だろうとの予想を見事にくつがえした、日本臭を脱した、良い意味で国籍不明の、実にダイナミックな演奏で充分楽しむことができた。
 演奏を終えて控え室にもどってきたデヴァ・ヨーコさんに改めて愛へのお褒めの言葉をいただいたが、それに気を良くして、明日(あっもう今日になります)の午前中、帰京前にばっぱさんのところで開いてくださる、何曲かのミニ・コンサートにもまた四人で顔を出すつもりである。
 あーあ、こんなことではこれから幼稚園や小学校での愛の学芸会出演にこまめに出かけていくんだろうな、みっともない、などと思われるかも知れないが、いや滅多なことでは出かけませんぞ、ご安心くだされ。今回はほんの弾みでこうなっただけですから。(ことさら言い訳するのが、ちょっと怪しい)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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