廻り灯籠の世界

テレビの前にちゃんと座って初めから終わりまで見るのではないにしても、一日七、八本の映画をVHSからDVDに移す作業は頭にとっては重労働かも知れない。だれに頼まれたわけでもなく、なかば意地になって続けているわけだが、あともう少しというところまで来た。それでもあと80本くらいは残っているのではないか。
 頭にとっては重労働と言ったが、場所も時間も登場人物も、もちろん筋立てもまったく違う世界を、飛び飛びではあれ連続して見るわけだから、いい加減あたまの方がおかしくなってくる。たとえば今日終えた32番目のファイルには、次のような映画が入っている。

 「マンハッタン」、「チャイナタウン」、「アラン・ドロンの刑事物語」、「純愛譜」、「犬神家の一族」、「口笛高らかに」、「氷の微笑」、「フリー・ウィリー」、「プレシディオの男たち」、「真夜中のカーボーイ」、「影の軍隊」、「セントラル・ステーション」、「かけがえのない日々」、「カサンドラ・クロス」、「フェア・ゲーム」、「クリフハンガー」、「深夜カフェのピエール」、「オール・アバウト・マイ・マザー」、「悪魔を憐れむ歌」、「狼たちの街」の計20本。

 24枚収納可能のファイルなのに20枚しか入っていないわけは、それぞれの袋にはDVD一枚のほか、ネットで検索したその映画の小さなスチール写真あるいはポスター付きのデータを印刷した紙片があって、それなりにかさばるからである。
 場所はニューヨーク、サンフランシスコのチャイナタウン、フランスのマルセーユ、かと思えばソウルや東京、キューバのハバナ、スペインのバルセローナ……いや都会だけでなくロッキー山中、時代は現代のみならず第二次世界大戦中のレジスタンスの時代…登場人物も刑事、軍人、女代書屋、おかま、など百花繚乱である。
 なかにはわざわざ保存する値打ちもないような駄作も入っているが、しかし駄作の中にもその中を流れた時間の影は棄てがたい。たとえば町並みを照らす夕陽の影、舗道を濡らす雨、ふと街角を横切る老婆の姿…映画のでき不できに関係なく、画面のなかに記録された一瞬一瞬は確かに実在した一瞬である。いまはやりのCGを駆使した映画がどうしても好きになれないのは、映し出される世界が決して現実には存在しない世界だからだ。
 本とはまた別な形で、映画は人間と世界のさまざまな姿を繰り返し見せてくれる。たとえすべてを見直すことはないかも知れないが、その気になればいつでも招じ入れてもらえる貴重な宝の蔵である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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