二人の美智子さん

今日6月15日は樺美智子さんが亡くなってちょうど半世紀だということを今朝の新聞で知った。この日彼女は、日米安保条約の改定に抗議する学生デモに参加して国会構内に突入し、警官隊との衝突で命を落とした。このとき彼女は東大の四年生。その国会議事堂からさして遠くない大学の三年生だった私は、卒業後修道院に入ることを決めるか決めないかの瀬戸際にあって、政治とはまったく無縁のところでさ迷っていた。
 「天声人語」によれば、江刺昭子は『樺美智子 聖少女伝説』(文藝春秋)の中で、「日本人の意識や生活は、皇太子妃と樺さんの〔二人の美智子〕から変わったと見」ているそうだ。その真意はどこにあるかは分からないが、私自身も七年前ほど、「大衆の反逆と二人の美智子さん」というモノディアロゴスを書いている。樺美智子さんのお父さんの利雄氏がオルテガの『大衆の反逆』(東京創元社)の翻訳をしていることから書き起こした文章だ。
 そのときは、娘を失って間もない父親の手記『最後の微笑』(文藝春秋新社)を手に入れてはいたがまだ読んでいなかった。実は今日、思い立ってその本があるはずの書棚に探したのだが見つからない。このごろよくこういうことが起こる。じゅうぶん管理できる範囲の蔵書と思っていたのに、すでにその範囲を越えているらしい。いまやっているフィルム・ライブラリーの整理が一段落ついたら、蔵書の整理(登録は終わっているが、いざ必要というときに見つけられるように)をしなければなるまい。
 それはともかく、あのときの樺美智子さんより、心情的にはもしかしてはるかに「過激」な現在の私だが、いかんせん、肉体的にも精神的にも、思うようにならぬ事態が次々と押し寄せ、疲れといらいらが不発弾のように積み重なっていく。ほんとうは時々ガス抜きや気晴らしが必要なのだろうが、それを考える余裕さえ失っている。
 いま「いらいら」という日本語が、ラテン語やスペイン語のイラ(ira=怒り)と同音であることに気づいた。だからどうってことはないが。ただこの「いらいら」は、夕食後の変換作業中に思わず見てしまった1本の映画のせいかも知れない。つまり見ていて、言いようの無い不快感を感じ、それでいて不思議な魅力(?)を持った映画なのだ。どんな映画か、実は見るまで分からなかった。ネットを探し回っても、どこにも痕跡が見つからないのだ。
 衛星テレビや名画専門チャンネルから録画したのではなく、懐かしいコマーシャルがわんさか出てくるところから見て、民放で放映された映画のはずなのに、どこにも手がかりが見つからない。『黄色い家』という題名だけは記録していたのだが。あきらめて初めから見ていくと、ポルトガル映画で、題名は「黄色い家の記憶」らしい。そして分かってきたのは、ジョアン・セザール・モンテイロというかなり有名な監督が1989年のヴェネツィア映画祭に出品し銀獅子賞を獲得した映画だということ。
 さてこの映画については項を改めて書くことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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