ウィキペディアによれば、『黄色い家の記憶』の出演者でもあり監督でもあるジョアン・セーザル・モンテイロは1939年にコインブラ県のフィゲイラダフォスで生まれ、2003年、64歳でガンのためリスボンで死去した。
映画の中の彼は、まるで聖性なきドン・キホーテのように、老醜と道化の不思議な姿を晒している。ここまで徹底して醜さをさらけ出すと、不思議なことに瞬間的にだが人間の尊厳が垣間見えるのはなぜか。映画の中で、彼は大詩人ジョアン・ド・デウシュと同名の男として登場しているのだが、私にはフェルナンド・ペソアの対極にあるキャラクターとして興味深かった。そしてリスボンもペソアのときとはまったく違う相貌を見せるのである。
ペソアにしろモンテイロ(あるいはジョアン・ド・デウシュ)にしろ、ポルトガルしか生み出せない芸術家に思える。似たような歴史そして風土を持ちながらも、隣国スペインには決して誕生しない人間類型に思える。
2003年のカンヌ国際映画祭には余命幾ばくもないことを自覚しながら出演し監督した作品『行ったり来たり』が遺作となったそうだ。『黄色い家の記憶』の後半部分でさえ急激に肉が落ちたように見えたのだから、その遺作ではさぞかし鬼気迫るものがあったのでは、と推測される。
1939年2月の生まれだから、私より半年大きいだけなのに、もう鬼籍に入ったとは寂しいことだ。ネットを調べてみると、『ミツバチのささやき』のビクトル・エリセがモンテイロ論を書いている。ざっと見ただけだが、気になった文章があった。「…こうして彼は、〔ポーズを取る役〕にどこまでも徹した彼の映画作家としての本姓に適うことのみをしながら、ただひとつの必要性によって導かれた――すなわち、生を恒常的な創造行為へと変換することである」。
「生を恒常的な創造行為へと変換すること」、これだけではもちろんエリセの言いたいことは分からないが、しかし『黄色い家の記憶』冒頭の字幕に「ルシタニア(=ポルトガル)風コメディー」とあったことと考え合わせると、モンテイロが現実と虚構、真実と夢想、自己と他者、正気と狂気、要するに近代的自我を貧困と涸渇へと導いたすべての弁別と境界を超え出ようとした人間であることが分かる。
スペイン黄金世紀風に言い換えると、それはトラヒコメディア(=悲喜劇)、つまり聖餐神秘劇やピカレスク小説そして神秘思想など肉と骨を供えた人間にかかわるすべての真実を統合した文学に相通じる理念でもあろうか。でもやはりどこが違う。退廃と悪徳の香りが漂っている。
聖性と悪の神学、この点ではサド、ユイスマン、バタイユなどフランス文学が独壇場と見られがちだが、ペソアやこのモンテイロと見てくると、ポルトガルにも豊かな水脈がありそうだ。だが傷つきやすい繊細な精神の持ち主である私は(これ明らかに褒め過ぎでんな)、たぶんこれ以上深入りすることはないであろう。
ただいくつか印象的なシークエンスが、いつまでも私の脳裏から消えることはあるまい。たとえば主人公が一時閉じ込められた精神病院での、退屈で無意味な中庭の散歩(最後はものすごいスピードで走り出すが)など、人生そのものの重い実質を備えた感動的な(?)なシーンであった。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
- 嬉しい話のてんこ盛り(その二) 2018年12月7日
- 敗残の兵と西瓜 2018年12月2日
- 嬉しい話のてんこ盛り 2018年11月27日
- 呑空庵西漸(せいぜん)す 2018年11月25日
- おや、こんなこと書いていた 2018年11月24日
- 勘違いの連鎖(その2) 2018年11月19日
- 美子、金婚おめでとう! 2018年11月16日
- 柳美里さんからのお知らせ 2018年11月16日
- 呑空庵福島支部誕生 2018年11月13日
- ちょっと嬉しいお知らせ 2018年10月30日
- 景気の悪い近況ご報告 2018年10月26日
- 紫陽花色のソックス 2018年10月15日
- 平和構築のための強力な布陣 2018年10月12日
- 累計2,300人!!! 2018年10月8日
- 戸嶋靖昌「受難」 2018年10月3日
- 思いがけない再会 2018年9月29日
- 近況ご報告 2018年9月28日
- まるで青年 2018年9月16日
- 再度のお誘い 2018年9月16日
- 我らのモノディアロゴス君 2018年9月11日
- プライバシーという魔物 2018年9月6日
- お知らせ 2018年9月3日
- トロイの木馬 2018年8月28日
- メディオス・クラブについて 2018年8月22日
- 「焼き場に立つ少年」報道異聞 2018年8月18日
- 偉い坊やがいたもんだ! 2018年8月16日
- たまには写真でも 2018年8月12日
- あゝ腹立つー 2018年8月9日