このところ、といって正確にはここ十日ばかりになるだろうか、朝から夜寝るときまで本作りに精出している。そんなに頑張らなくてもいいのに、と思いながら、回りだした弾み車は止まりそうもない。鶴の恩返しの鶴のような、という形容はもはや当たらず、五、六人の腹をすかしたガキを横目で見ながら袋貼りに精魂使い果たしている貧乏長屋のおかみさんといったところである。
気がついたら80冊近く作っていた。初めのうちは、この単純作業は本を作るためにはどうしてもやらねばならぬ苦役みたいに考えていたが、しかし次第に考えが変わってきた。つまりこの超単純な肉体労働は、自分の書いたものを他人に読んでもらうためには、単に必要だけでなく必須のものではないか、と考え出したのである。つまりお百姓さんが種まきから、除草、刈り入れ、脱穀、出荷まですべて自分の仕事とするように、物書きも執筆でその仕事が終わるのではなく、編集、校正、印刷、製本、そして送付まで、すべて自分の手でするのは、少なくても物書きの一つのあり方として成立するのではないか、と考えるようになったのである。
何のことはない。無味乾燥な仕事に、何とか意味を持たせたいとの、切羽詰った考えかもしれない。しかしこう考えることによって、つらい仕事のいくぶんかが楽になったような気がする。つまり無駄なことをやってるという焦燥感・徒労感が軽減されたわけだ。
ともあれ、初めの何十冊かは筆者「あとがき」しかなかったが、密かに期待していたように、途中から、つまり第二版からN氏の解説「モノディアロゴスについての対話」を収録することができた。番外編として以下その文章を発表させていただく。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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