なんとも情けない!

ここ何日間だろう、ずっと『モノディアロゴスⅢ』製作にかかりっきりになっていた。今回は紙折り機のダーレ君を使わないことにしたので、すべてが手作業である。ので一冊作るだけで疲れてしまう。でも読んでくださる方の喜ぶ顔を思い浮かべながら頑張ってきた。
 しかしそれを郵送する段になって、トラブルに巻き込まれてしまい、肉体的疲れに精神的な疲れが加わって本当に参っている。トラブルとはこうである。事件はまず一昨日の午後、郵便局の窓口で起こった。最近売り出された「レターパック350」に苦心の私家本を入れて係りの人に渡すと、「これは厚さ3センチを越えますので、お引き受けできません」と言う。ええっウソだろう、だって前日も同じものを問題なく送れたぞ。
 すると係りの女性は、レターパック大の穴が開いているプラスチックの定規みたいなものを出してきて「このように通りません」と言う。それなら、と目の前でびりびりと開封して(もうちょいで瞬間湯沸かし器が沸点にするのをかろうじて抑えながら)、本をくるんでいたプチプチを平らにして入れ直し、再度スケールの穴を通させた。するとちゃんと通るではないか。
 あのねほんとうのサービスとは、スケールを出してきて、「これでは通りません、ですから送れません」と言うのではなく、「お客さん、もしか包装をし直すかしてもう少し薄くできません?」くらいの対応をするのがサービスというものじゃないか。要は本を無事送ることであり、万一規格に合わないのだったら、「ゆうメール」で送るよう薦めるとか、つまりせっかく対面しての受付なのに、これでは文字通り人間が杓子定規そのものになってるでないの。
 ともあれ受け取ってもらえたので、その日のトラブルは解消して安心して帰宅した。さて次は昨日である。午後同じようにして5つのパックを郵便局前のポストに投函した。ところが今日になってもネットで追跡しようとすると、今日の朝八時の受け取りになっていて先に進まない。えっ昨日出したのになぜ? それで今日の午後、また新しい5つのパックを窓口で出しながら、昨日のパックの追跡データが進まない旨を告げた。うっかり番号シールを持っていかなかったので、電話で報告するので調べてもらうことにして帰宅した。
 さて帰宅して間もなくである、玄関に日本郵便の者と名乗る若い男が訪ねてきて、実は昨日のパックは規格外でしたので、送ることは一時止め、お宅に電話したが不在らしく、また今朝も電話したけどまたもや不在でした、と言う。(そのときは思いつかなかったが、なぜ留守電にその旨伝言を残さなかったのだろう)。
 ともかく一昨日、係りがスケールを通したので安心してそのあとも窓口に出したり、ポストに投函した(昨日はそうした)のに、今更どうしてこうなるのか、ともかく一度局に帰って、今日窓口に出したパックを調べ、またその女性係員にも訊ねてこい、と引き取ってもらった。
 それから間もなく、今度は上司らしい男と二人連れでやったきた。上司の方は、ともかく規格外なのでパックで送ることはできない、の一点張り。それならと目の前でプラスチックのスケールに男たちが持ってきたものの一つを入れてみると、通るは通ったがきついことはきつい。雨もよいのため紙が膨らんだのか。
 まっ、こんなこと報告してもつまらないが、書いているうちに少しは怒りも収まってきた。どういう結末になったか、というと、今回はパック扱いにするが、次回からはぜひ厚さ3センチを守ってほしい、と言う。こちらしても、せっかくの自家本をこんなトラブルに巻き込まれさせたくはない。しかし今度の『Ⅲ』はぎりぎり縮小したものでこれ以上厚さを減らすことは無理。だからこの次からは速達にも追跡調査可能にもならないが、別に急ぐものでもないので(いや本当は一日も早く届けたいが)「ゆうパック」で送ることにしよう(ちなみに同重量で10円安い)と折れた。
 話し合いのあいだ瞬間湯沸かし器は全開状態だったが、ひたすら規則一点張りの上司より、二度目の若い男が今回は終始丁寧な受け答えだったことが意外だった。
 もちろん今日の文章などモノディアロゴスとして残すはずも無いが、書いてきて少しは疲れがとれたようだ。それに上智の後輩で田村市に住むH・Sさんから、友人や兄弟にも読ませたいので、13冊(!)送ってくれとの手紙を受け取ったことが、正直いちばんの癒しとなった。少し時間がかかるかも知れないが、喜んで作って差し上げましょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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