必須の作業

このところ、といって正確にはここ十日ばかりになるだろうか、朝から夜寝るときまで本作りに精出している。そんなに頑張らなくてもいいのに、と思いながら、回りだした弾み車は止まりそうもない。鶴の恩返しの鶴のような、という形容はもはや当たらず、五、六人の腹をすかしたガキを横目で見ながら袋貼りに精魂使い果たしている貧乏長屋のおかみさんといったところである。
 気がついたら80冊近く作っていた。初めのうちは、この単純作業は本を作るためにはどうしてもやらねばならぬ苦役みたいに考えていたが、しかし次第に考えが変わってきた。つまりこの超単純な肉体労働は、自分の書いたものを他人に読んでもらうためには、単に必要だけでなく必須のものではないか、と考え出したのである。つまりお百姓さんが種まきから、除草、刈り入れ、脱穀、出荷まですべて自分の仕事とするように、物書きも執筆でその仕事が終わるのではなく、編集、校正、印刷、製本、そして送付まで、すべて自分の手でするのは、少なくても物書きの一つのあり方として成立するのではないか、と考えるようになったのである。
 何のことはない。無味乾燥な仕事に、何とか意味を持たせたいとの、切羽詰った考えかもしれない。しかしこう考えることによって、つらい仕事のいくぶんかが楽になったような気がする。つまり無駄なことをやってるという焦燥感・徒労感が軽減されたわけだ。
 ともあれ、初めの何十冊かは筆者「あとがき」しかなかったが、密かに期待していたように、途中から、つまり第二版からN氏の解説「モノディアロゴスについての対話」を収録することができた。番外編として以下その文章を発表させていただく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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