何だろう、この異常なまでの暑さは。八年前、八王子から越してきたとき、使い古しの三つのクーラーを持ってきた。と言ってもそのうちの一つは、台所の上に鉄骨を組んで作った浮巣のような書斎(あゝ懐かしい!)の窓にはめ込んで使っていたテクノマツオ(大阪)製の安いクーラーだが、これをいまや命綱のように重宝している。
実はこれまで真夏でもほとんど使ったことが無かったのだが、恥ずかしいことに、今年はもうかれこれ一月近くも終日点けっぱなしというざまである。二階縁側のガラス戸に自分で設置したものだが、簡単な構造が幸いしてか一回の故障も無く毎日勤勉に働いてくれている。助かる。これが無かったら、炎熱の二階居間で、老夫婦の日干しが出来上がっていたことであろう。
でもこんな暑さの中、今日も真面目に印刷屋・製本屋稼業を続けている。312ページの『モノディアロゴスⅢ』を、もう百冊以上作ったのではないか。もっともそのうちの24冊、つまり四分の一は、先日も話した田村市のSさんからの大量注文で、初回の13冊から、5冊、6冊と続いた。まだこれからも注文するからよろしく、などと平気でおっしゃる。まるで呑空庵が田村市に支店を設けたようなものである。
お医者さんの奥さんだから交友関係が広いのは当然としても、他人の、しかも粗末な私家本を他人様に売ってくれるなんて、肉親でもできない荒業(失礼!)である。お金がからむととかく人間関係がギクシャクする危険が増大する。だから絶対無理をしないでとお願いしているのだが。
ただ彼女にも先日の電話で言ったのだが、今回のは特に、「人生の応援歌」のつもりで書いたものなので、手にとって読んでくださる方に、少しでも元気を与えることがあれば、と切に願っている。
それで製本のことだが、いちばん辛いのは印刷済みのB5の紙をきっちり二つ折りにする作業だが、ここまでくると職業的スキル(?なんて外国語を使うまでもないのだが)が身についたのか、広げた紙の左上に、下から持っていく紙の角を寸分の違いも無くピタリと重ねることが早くなってきた。自動紙折機ほどではないが、しかし相当なピッチで重ねていく。
ここで毎度不思議に思うのは、たとえば20枚、30枚とキリのいいところで重ねて両手の親指と人差し指で折り目をさらに圧縮するのだが、そのときの20枚あるいは30枚があとあとまで一塊になるということだ。みな同じ程度に圧縮するのだから、塊はどこでも平等にできるはずなのに、「製本屋さん」を使って背中部分に糊をつける作業のときにもその塊は乱れずそのままになっている。もちろん最後の段階で背中部分を平らに均(なら)すのだが。
だから20枚、30枚と小刻みにまとめるより、一気に100枚ずつ三つの塊にしたほうが最後の段階で均しやすいことに気づいた。したがって現在は、二つ折りにする作業は中断せずに一気に100枚近くまで続けることにしている。まっ、こんなプロの手順を披露するまでもないのだが、つい上達の具合を自慢したくなったので。
白状すると書き出すまでは、「看板娘」という題で話をするつもりだったが、それはまた明日ということにしよう。(変に気を持たせる言い方をしてしまったが、ここ数日、訪問客が急に増え、昨日はとうとう100人の大台を越えたことが微妙に関係しているのかも知れない。タレントのブログが日に何十万というのに比べれば…いやそんな卑屈な比較はやめよう、一人でもお客さんがあればありがたいと思わなくちゃ。ウロタエずに、あくまでケンキョに)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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