昨日の約束だから題名の「看板娘」について語らなければならいが、さてこの暑さでそこまで行き着けるか。
それでなくても暑い二階縁側で、大阪生まれの小さなクーラーがフル回転している。足元に置いたこれまた小さなプラスチックの扇風機からわずかに送られてくるちょっぴり冷えた風でようやくクーラーの効果が確認できる、そんな午後のことです。昼食後のソファーでの昼寝がうまくいかず、机に座っても頭が働きません。目の前の書見台の本の後ろから、バッパさんに来た「かもめーる」が一枚、顔を覗かせています。下には宝くじの番号…
そのときです、暑さの中で頭の回転が少し早まって、連想ゲームが始まりました。宝くじ、抽選発表会、振袖姿の何人かのお姉さんたちが、舞台上で回転する数字版を弓で狙ってます(果たしてかもめーるの抽選発表会も年賀はがきのように、振袖姿のお姉さんたちが矢を射るかどうかは知りません。夏ですから振袖はないよね。じゃ浴衣ですかな)
晴れ姿の美しいお姉さんたち…そういえば昔々、私が小学校三、四年だったころ、近所にとびきりきれいなお姉さんがいました。そう、向いの大家さんの家の娘さんです。たしかそれほどきれいでないお姉さんと弟さん(といって私よりずっと歳上です)の三人きょうだいでしたでしょう。家業は四つ角のタバコ屋さん、いや雑貨屋さんの一部がタバコ売り場でした。私の家は、つまり借家は、そのタバコ屋さんの裏の、二間と小さな台所の平屋です。前の大家さんは二階屋でしたから、一日のかなりの時間、大家さんちの影になってしまいました。でもその代わり、裏にわずかな面積ですが、畑も借りていて、トマトとトウキミ(北海道ではトウモロコシをそう呼びます)、そしてサヤエンドウを作ってました。後にも先にもわが家に畑があったのはそのときだけです。
いやそんなことより、肝心の看板娘です。大家さんちの次女は、すでに言ったように評判の美女でした。さあ、あえて似た人を探せば、ジョン・フォード監督の名品『わが谷は緑なりき』に出ていたモーリン・オハラでしょうか。評判の看板娘でしたから、彼女がタバコ売り場に座ると、どう嗅ぎつけるのか、若い男たちが次々とタバコを買いに来たものです。昭和23、4年、まだ若者たちは純粋でウブでしたよ。
それでお年玉抽選会とどう繋がるかですって? もちろんこんな美女を町の方(?)で放っておくはずもありません。年に一度の抽選会のあの振袖美女の一人に選ばれたわけです。私自身その会場に出向いたことがあったかどうか、となると記憶が怪しくなりますが。
先に申したとおり、わが家は大家さんちの直ぐ後ろです。ですから大家さんちの便所が、わが家の縁側からすぐのところだということ。ですから(ですから?)大家さんちのだれかが便所に入ると音で(いやドアの開け閉めの音です)分かります。でもモーリン・オハラさんが便所に入るはずもありません。それらしき人の気配がしたときは、死に物狂いであれはお姉さん、いま入ったのは弟さんの方と無理に考えるようにしました。
小学五年の秋に私たち家族は内地に越してきたので、大家さん、実名で言ってもいいでしょう渡辺さん、との付き合いは途絶えましたが、私が高校生のとき、一度渡辺家を訪ねたことがあります。そのとき家の前の縁台で撮ったおばさんと弟さんと一緒の写真が残っています。あのきれいなお姉さんは、もう他家に嫁いでいて家にはいませんでした。
つい連想の流れで看板娘のことを中心に話してしまいましたが、ほんとうはこの借家時代のいちばんの思い出は、いつも私を可愛がってくれた親切なおばさんのこと、そしてある朝家の横の材木置き場(あっ大家さんちのおじさんは大工さんでした)で見つけたジョンという私の最初の飼い犬のことです。おばさんもジョンももちろんもう死んでしまいました。あっまた思い出しました、あの美人のお姉さん、あるときわが家からでも聞こえるどでかい音を立てて階段を転げ落ちた、いや違うな、そうだベッドから落ちた、ことがありましたっけ。
あゝすべて遠い昔のことです。でも懐かしい昔のことを思い出すいい機会となりました。ありがとごぜいやす。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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