たまたま見た朝のテレビ番組で、最近の高齢者所在不明問題や、大阪でのシングル・マザーの二人の幼児遺棄事件などをめぐって、作家・詩人の堤清二、評論家の西部邁、ノンフィクション作家の吉岡忍、そして若い二人の男女が話し合っていた。若い二人とだけ書いたのは、女性の方はともかく、若い男がいかにも頭がキレマスヨ、と言う感じで、やたら早口で持論をまくし立てるのだが、強引かつ独りよがりの論法で、明らかに浮いた感じで、まったく共感を持てなかったからだ。つまり名前なぞ覚える気にもならなかったということ。
結局問題は、家族というものが崩壊している現実をどうとらえるべきか、そしていたるところ綻びのできた人間関係をどう修復したら良いのか、ということらしい。保守派の論客・西部邁はヨーロッパやアメリカの例を引き合いに出しながら、崩壊する以前の状態を何とか修復すべきという意見だが、若い男はそれにしきりに噛み付く。つまり古臭い家族関係や濃密な近所つき合いなどまさにウザったらしい。昔に帰ることなどどだい不可能だし、意味もない。それより新しい形の社会モデルを構築すべきだ、と言う。
最後までは見なかったが、私としては、両者のどちらにも賛成する気にはならなかった。保守派の究極的な理想は、天皇制を頂点とするかつての家父長的家族制度の復活であることは見え見えだし、一方若者の主張には、人間というものについての徹底した哲学が欠如しているように思えたからである。
確かに家族や社会の靭帯をずたずたに切り捨ててきた浅薄な戦後民主主義の弊害がいよいよ表面化してきたという事実がある。しかし、かと言ってかつてのような家族制度や、意見を異にする者を非国民とみなす硬化した社会に戻るのは愚かというものであろう。保守派も若い男も、個人と国家の中間にあるべき家族や社会が機能せず空洞化していると考えている。将来に向かってそれをどう構築していくべきか。
新しい人間関係の可能性を示す例として、若い男はJリーグの応援に結集する若者たちの仲間意識を挙げたが、とんでもない愚論である。そんな盛り上がりは、一時的でしかも感情的で脆弱極まりない繋がりでしかないことは、火を見るより明らかである。
血を分けた家族の繋がり、生活空間を共有する他人同士の繋がり、それをどう構築していくか。ここで忘れてならない重要な事実がある。それを抜きにしては、家族であれ社会であれ、いずれは弱体化し、ついには崩壊せざるを得ない重要な事実、それは人間にとって貴重なものはすべて、同時に「うっとうしい」ものであるという厳然たる事実である。
たとえば人を愛することは、素晴らしいことであり胸ときめかすことではあるが、しかし同時に、愛することによって人は拘束され不自由になるはずである。たとえば愛する人の為に、人はときに大いなる犠牲を払わなくてはならない。もちろん愛はそうしたすべての自己犠牲や重荷を喜ばしきものに変えるという奇跡を起こすが。
暑さのため、いや正確に言うと、今日は川口からやってきた孫たちと一緒に海水浴場に出かけ、そこで弁当を食べ、帰りは「道の駅」によってお土産を買い、夕食後は玄関先で孫たち三人の花火遊びに付き合う、というふだんにはない行動をしたため、頭の回転が思わしくなく、とりあげた難問を十分考える余裕がないまま書き出してこの体たらく、また日を改めてぶつかってみます。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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