障害を持つことの意味

今時の病院は、などと十把一絡げに言うことはできないかも知れないが、しかし高度医療機器が前面に出てくる場所であることは間違いなかろう。つまり患者さんが医師と対面する以前に、ではレントゲン室にどうぞ、とかCTスキャナー、MRIのデータを先ず取らされる。医者が患者と対面し、じっくり観察いや診察する時間は短縮され、場合によってはそれさえなく、付き添っている者に、鮮明に写しだされた写真を自慢げに示しながら、雄弁に病状を説明する。
 映像が鮮明なのは、お医者さん、あなたの手柄とは違いますよ、と言いたくもなる。見せられる側には、それと比較できる映像を知らないのであるから、よほど見慣れた人でない限り、どれが影でどれが臓器なのかまるで識別できないのがふつうであろう。
 病気とは違うが、今どんな産科医院でも胎児の超音波映像が妊婦やその家族に見せられ、提供される。性別はもちろん、奇形かどうかの判別も分娩前に分かる仕組みになっている。男の子か女の子か分からないのが人間誕生の妙味などと言うつもりはないが、しかし超音波で胎児の動きを知ってどうだというのだろうか。
 いま唐突に三人の文学者のことが頭に浮かんだ。三人ともそれぞれ障害児を持っていた、あるいは持っている。一人は、脳水腫で七年という短い生涯を生きた第三子ライムンドの父ミゲル・デ・ウナムーノ、二人目は、失語症を患いながらも五十二年の生を生き抜いた娘マヤの父・島尾敏雄、そして三人目は、重度の知的障害を持ちながら作曲活動を続けて今年四十七歳になる長男光の父・大江健三郎である。島尾敏雄の場合はマヤだけでなく妻ミホが長らく心因性の精神疾患を患った。
 さてそれで何を言いたかったのだろう。そう、ある意味では暴言であり言いがかりめいた言葉かも知れないが、彼らに障害を持った子供あるいは妻がいなかったとしたら、彼らの文学は…あやうく言ってはならぬ言葉を書きつけてしまうところだった。ぐっと毒を薄めて、穏やかな言葉遣いをすれば、最終的に到達した彼らの文学のエッセンス、それも最重要な本質が欠けていたであろう。彼らにとって、障害者をわが子とすることは、考えられないほどの重荷を背負わせたかも知れないが、同時に彼らの文学に太い筋金を入れた、と言いたかったのである。
 それが先ほどまでの話とどう結びつく? 前に言ったように、人間にとって貴重なものは同時に厄介なもの、いや逆に言った方がよさそうだ。つまり人間にとって厄介なもの、重荷となるものは、実は人間の価値、生きる価値そのものを内臓する宝石の原石みたいなものだということである。
 今日の昼前、川口の孫たちが帰っていった。それだけのせいではないが、やっぱりまだ調子が戻っていないようだ。今夜も未整理のまま問題を投げ出した格好である。ゆっくり攻めることにします。お許しください。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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