にわかガイドの楽しみ


「こんな東北の片田舎にも容赦なく猛暑が襲っていましたが、今日の午後あたり、心なしかその勢いが少し弱まったように感じられます。」

何通か残暑見舞いへのお返事にそう書いたが、それにしても長い猛暑のトンネルだった。二階縁側のクーラー(エアコンではない)が無かったら、ほんとうにこの老夫婦、間違いなく熱中症で倒れていたに違いない。
 そんな初秋への予兆の中、今日の午後は、いつもとは違った時間を過ごした。静岡からSご夫妻が小高の「埴谷・島尾記念文学資料館」に来られたので、美子と一緒に(言うまでもないが)会いに行ったのだ。手紙やメールでのやり取りはあったが、お会いするのは初めてである。東京のO大学で教鞭をとりながら、個人誌を発行し、そこに小川国夫伝を連載されてきた方である。その執筆の過程で、一度相馬を訪ねたいと、今回の来訪となったのである。
 浮舟文化会館の一室で、担当者のTさんを交え、しばらく話し合ったあと、資料館見学や埴谷・島尾ゆかりの地歴訪は明日Tさんがやってくださるというので、今日は私が少し当地をご案内しましょう、ということになった。野馬追祭場、馬事公苑、そして北泉海浜公園へと車を走らせた。
 山と海に囲まれたわが町の一筆書きのような案内だったが、喜んでいただいたようだ。帰りぎわには道の駅により、数日後にはお会いするという小川夫人に軽いお土産を購入してS氏に言付けた。ご夫妻が予約したホテルはわが家から近い扇屋旅館なので、チェックインする前に、わが家に寄って粗茶を差し上げた。その後ホテルにお送りして、にわかガイドの大役をなんとかを果たせたようだ。
 九日後には、最後の勤務校の元同僚三人が、やはり一泊予定で訪ねてくる。彼らのときも、今日のコースを走ってみようかな、などと俄然ガイド意識が出てきた。
 今までも時おりの来客はあったが、それについて書くことは控えてきた。今日の場合は、自分でも驚くほどガイドの仕事が楽しかったので例外的に報告とあいなった。そんなことわりわざわざ書くまでもないか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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