井上ひさしの周囲を調べているうち、現・九条の会事務局長、東大教授で国文学者の小森陽一という人のところにたどりついた。そして彼についてこんな記述があった。「東大助教授になった途端、<紳士録に名前を載せませんか?>と依頼がきたが、彼は「紳士」という言葉を嫌っていた上、<東京大教授は紳士で成城大教授は紳士ではないのか>と怒ったが、なぜか紳士録に掲載されてしまった(本人談)」。
エピソードとしては面白いが、しかしこれは小森氏の早合点であろう。つまり東大の助教授になったから紳士録掲載の依頼がきたのではなく、それ以外の理由(たとえば著書の出版など)によって編集者(かどうか分からないが)のセンサーにひっかかったのであろう。その証拠に、成城大より世間的には明らかに格下の大学の教師であった私にも、掲載依頼があったからである。そんなこんなでこの紳士録が書棚にあったことを思い出して下から運んできた。ものすごく重い。念のためため体重計で量ってみたらきっちり5キロあった。
週刊誌大で厚さ12.5センチ、項目ごとのページ数は出ているが、総ページ数は分からない。交詢(こうじゅん)社から平成12年(2000年)に出た第76版で、値段はなんと十万二千八百五十七円+税となっている。本当にそんな大金を叩いて買ったのだろうか、としきりに記憶をまさぐる。そう、買ったのである。馬鹿らしいとは思いながら、いつか子孫の誰かの目に留まれば、との愚かな夢を抱いて払ったのだ。
この赤い表紙のぶっとい『日本紳士録』を図書館のガラス戸の中だったり、どこかの偉い人の書棚だったり、それまで何回か眼にしたことがある。その紳士録に自分も載ることになって、今から考えると愚かしい限りだが、少し誇らしい気持になったことは事実である。
ものの本(つまりネット)によれば、『日本紳士録』は1889(明治22)年、福沢諭吉の提唱で設立された社交団体「交詢(こうじゅん)社」が発行した。納税額を基準に著名人約2万3000人が名を連ねて評判を呼び、3年後の第2版の掲載は約3万3000人に急増した。以後、名前が載ることが社会的地位の象徴とされた時代が1世紀以上続いたわけだ。しかし詐欺事件に利用されたり(中には14億円以上をだまし取られた元会社員もいたそうである)、個人情報の取り扱いに対する警戒感が高まったりしたりで、ついに2007年の第80版をもって休刊し、120年近い歴史に幕を閉じることになったそうだ。つまり手許にある第76版からわずか7年後に休刊になったようだ。事実上の廃刊であろう。
さてご苦労にも八王子から運んできたこの無用の長物をどうしようか。あらためて自分の項を見てみると、わずか150字ほどの情報は、現職、住所・電話番号など現状とは違うものがほとんどだが、妻・美子(青山学院大卒)という記述もある。そうだ、歴史的遺物となった今こそ、ほんとうの価値が出てきたと言えるかも知れない。これまで持ってきたのだ、せめて自分が生きている間くらいは本棚の片隅に置いておこうか。と言いながら明日にも棄てるかも分からないが…
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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