其の後の御無音をお詫び申上げます。秋晴れの大江戸で御達者で御勉強の御事と存じます。三郎ちゃんも一夫さんもきっと御元気のことと思います。長い旅も承徳の二日に亙る離宮、ラマ廟の見學を最後に漸く終了いたしました。十九日は元気一杯で任地に安着いたしました。何卒御安心下さい。満州の田舎町の風景、「大地」そっくりの様子です。見るもの聞くもの珍らしいものばかり着流しに下駄ばきで大いにカッポしてをります。縣公署は目下移転のためごったがえしの様で、正式の発令は十月一日になる予定です。その上で職掌もはっきり決定する筈です。その上で又ゆっくりお便りする機会に恵まれることと思ひます。皆様にもどうぞ折角御自愛の上御健斗下さい。
先づは簡単に御一報まで。
康徳六年(昭和十四年)九月二十三日消印
満州国熱河省灤平縣公署 佐々木 稔
父が満州から東京の義弟、つまり私の母方の叔父に出したはがきである。少し縦長のきっちりとした几帳面な字で書かれている。このとき父は、北海道帯広市に家族を残して、単身、満州に渡った。二年後に続く家族のいわば先遣隊としてである。このとき私は生後23日、ひと月にもなっていなかった。
実は昨日、井上ひさしの『一週間』を読了し、続けて、出たばかりの浅田次郎の『マンチュリアン・リポート』を読み始めた。彼の『蒼穹の昴』(全2巻)と『珍妃の井戸』を以前手に入れたまま読まないでいたのだが、広告で『マンチュリアン・リポート』発売を知り、その題名に引かれて購入したのだ。本当はその前の『中原の虹』(全4巻)を入れて、壮大な四部作(「落日の清を舞台に、西太后と袁世凱、張作霖の運命が交差する!」)を構成するらしいが、『マンチュリアン・リポート』を先ず読んで、それが面白かったら、全作品を前から改めて読むことにしたのだ。
浅田次郎の作品は今度が初めてである。高倉健主演で有名になった『鉄道員(ぽっぽや)』の作者で、元自衛官くらいとしか知らない作家であるが、清国や満州をテーマにした作品なら読んでみようかな、と思っていたのである。さて『マンチュリアン・リポート』を読んでみてどう感じたか。
作者には悪いが、頭と尻尾だけを読んでみた。志津邦陽(くにあき)陸軍中尉は、天皇を神格化してそれを都合よく利用しようとする軍上層部を批判して監獄に入っている。ある夜、内閣書記官長鳩山一郎がとつぜん現れ、同道するよう求める。雨の中を目隠しのまま連れ出されて、着いた先はなんと天皇の前。そして張作霖爆殺の真相を探って来いとの特命を申し渡される。これが序章である。
中国に渡ってから天皇のもとに送られる6通のリポートが小説の本体になるわけである。今回はそれを飛ばして終章を読んでみた。そしてこのあと第7番目のリポートが続くのだが、それはまったくの白紙である。つまり書かれなかったわけだ。そのわけは終章を読んだ読者の推測に委ねられる。つまり最終章では、爆殺現場に居合わせて負傷した日本公使館付駐在武官・陸軍中佐吉永将のうわ言のような述懐があり、その中に真相が隠されているわけだ。
いや正直に言おう。まるで講談のように語られるストーリーは、確かに面白いし、勘所を心得た作話術はさすがベストセラー作家である。しかし満州問題(と今のところ少し曖昧な表現にならざるを得ないが)に対する私の近づき方はこれではないな、と思っている。鳩山一郎や昭和天皇が実名で出てくることに恐れをなしたわけではないが、どこからどこまでが史実で、どこからが作話なのか、はっきりしないのは小説としてとうぜんとは思うのだが(このことは井上ひさしの『一週間』についても言える)、歴史上の人物をうまく動かして小説を作るとなると、私には決定的に資料が不足しているのである。
それに私はこの歳になって(?)小説家として売りだそうなんて、これっぽっちも考えていない。私が書きたいのは、34歳で熱河の土となった亡父のことをいろいろ考えながらささやかな花束のような文章を書くことである。そんな思いを確認するため、冒頭に29歳の若い父の葉書をコピーしたのである。