死の床で

父のはがきには、正式発令は十月一日となっているが、はたしてどういう役職に就いたかは知らない。ばっぱさんに聞けば分かるかも知れないが、いずれにせよ一日中机の上の事務処理だけではなかったはずだ。以前ばっぱさんは、当時のことを思い返した文章(「四十七年目の証言」)で、こう書いている。

「夫が殉職死したのは、昭和十八年十二月十八日でした。事実は、自宅で亡くなりましたが、当時日本軍と共に満州国治安維持のため、集家工作と称する現地民の部落をまわって日夜説得を続けながらの難事業に参加して約二年間、ついに過労のため医師のいない僻地で無資格と思われる軍医(四国出身)に看取られ、薬も栄養も与えられぬまま息を引き取りました」

 つまり満州帝国僻遠の地・熱河省灤平縣の公省で父に与えられた仕事とは、正確な役職名は知らないが、実際には集家工作だったわけだ。一般に知られない言葉だが、要するに満州帝国つまり関東軍が八路軍つまり中国共産党軍や匪賊実は抗日パルチザンからの攻撃に備える、あるいは効果的に攻撃できるように、農民を土地や家屋から追い出して日本軍が設置した「集団村」に移住させる作戦を謂う。
 集団村の設置は軍命令という形をとったが、実際に第一線にたって推進したのは、日本人と中国人で構成する警察官だったらしい。軍人でも警察官でもなかった父のような下級官吏はどのような役割を演じたのであろうか。説得に応じない農民たちの処遇はどうであったのか。後は日本軍の武力を使っての強制執行となったのであろうか。
 むかしおぼろげな記憶をたどって、その当時のことを「ピカレスク自叙伝」という小品に描いたことがあるが、そこでも書いたように、時おり日本軍の小隊がやってきて、遠い山岳地帯に出没する「匪賊」討伐に出かけ、帰りは負傷兵が混じっていたことを覚えている。父も一応は仕込み杖を持って出かけたようだが、しかしなんというしんどい任務についていたことよ。母の話だと、友だちは日本人より中国人の方が多かったとか。そして先の文章の中で母はこうも書いている。

「主人が生前、省公署の役人達との宴席で、悲憤慷慨の余り、必ず繰り返した言葉は、今でも耳の底に残っています。

 <日本人は全部悔い改めて出直すべきだ>

主人の心中は察して余りあるものがあります。
 今にして思えば、満州国の将来、それよりも日本の将来と日本人の生き方を深く考え、それを見通しての言葉だったに違いありません」

 いつ結核を発病したのか。母にそのあたりのことを詳しく聞いてみようか。いや最近急にぼけてきた母に、そんなことは聞かない方がいいか。兄や姉の方が正確に覚えているかも知れない。ただ私の記憶に残っている父は、灤平のわが家の西に面した部屋で布団(あるいはベッド?)に横たわっている父の姿、いや正確に言えば姿や顔は見えず、文字通り布団らしきもののぼんやりしたシルエットである。三十四歳の誕生日は間違いなく病床で迎えた。そのとき何を思い、なにを願っていたのか。
 そのときの父の歳の二倍以上の歳を数えて、さてこの私は何を思い、何を願うべきか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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