オルハン・パムク氏

自分の知らないことがいっぱいあることは当たり前の事実だけれど、当然知っておるべきことを知らないと、やはりショックである。今朝もそんなことがあった。美子の前を何気なく通り過ぎようとして、ふとテレビの画面を見ると大江健三郎氏の顔が大写しになっている。おや、と立ち止まって見ていると、その横に見慣れない外国人が座ってる。どうやら公開対談らしく、大江氏は沖縄戦での集団自決の話を、相手のやはり作家らしい男は、トルコでのアルメニア人大量虐殺の話をしている。
 画面のデータ表記で、その外国人がトルコのノーベル文学賞作家オルハン・パムク氏であることが分かった。あとから調べたところでは、一九五二年生まれというからまだ五十八歳、ノーベル賞を受賞したのは二〇〇六年という。まったく知らなかった。とうぜんニュースで報じられただろうが、記憶にない。
 それはともかく、対談は終わり近く、初めから見れなかったことが悔やまれる。ネットに載っていた番組紹介にはこう出ていた。「2006年にノーベル賞を受賞した、トルコの作家オルハン・パムクが来日した。東西文明の十字路イスタンブールに生まれ、9.11後を予見した作品『雪』で知られるパムク。京都の町を歩き“伝統と近代”の共存について思索を重ねた。同じ東方の作家として彼に注目してきた大江健三郎や石牟礼道子との対談では、文学の可能性や他者の声を代弁する作家の生き方について語り合った。パムクの日本滞在に同行し、その思想を伝える。」
 いずれ再放送があるだろうから、その時を待つことにしよう。氏の唯一の政治小説といわれる『雪』が読みたくなってアマゾンで探したが安いものは見つからない。念のため「日本の古本屋」で探したら1,600円のものがあった。さっそく注文。
 それにしてもトルコ文学など今まで見たことも聞いたことも、ましてや読んだこともなかったが、この際認識を改めなければなるまい。邦訳された彼の小説作品は他に『私の名は紅(あか)』や受賞講演の『父のトランク』そして『イスタンブール 思い出とこの町』があるらしいが、いずれもイリッチの本を出している藤原書店から出ている。あゝ、このイリッチも揃えるだけ揃えたが、まだまともには読んでいない。
 以前、思想史家・生松敬三氏が余命いくばくもないことを知りながら、夫人とドイツを訪れ、文献を探し回ったことにある感慨を覚えたが、そうだね、私も最後の日々、よたよたと覚束ない足どりで階段を上がり降りして本を探しているかも知れないよ。まっ、それもありかな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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