今朝の「朝日新聞」文化欄に懐かしい名前と顔写真が載っていた。進藤榮一氏のことである。肩書きは筑波大名誉教授、専門は国際公共政治学となっている。まだ小学生のころ、初めは確か帯広カトリック教会で兄同士が友だちで、後に同じ年の弟同士が友だちになった。私たちが帯広を離れて相馬に住むようになってからは、夏休みなどで帯広に帰省する(つまり私の生まれ故郷だから)とき、時おり会っていた。学生時代最後の夏休みには、二人でテントをしょって、記憶にまちがいがなければ、バスで上士幌に行き(もしかするとそのころすでに士幌線は廃線になっていたか)、そこから歩いて然別湖に出ようとしたはず。途中、谷川のほとりでテントを張ったが、クマが出るかも知れない山の中、まんじりともしないで朝を迎えた。
そこからようやく糠平温泉に抜け、宿に上がってビールを飲んだ時のあの爽快感は忘れられない。その後、私は上智大、そして修道院に入ったが、一方彼は京大からジョンズ・ホプキンズ大、プリンストン大などで研鑽を積み、帰国後は鹿児島大で教えるようになった。
長い空白のあとの再会は、私が修道院を出て原町に舞い戻ったときである。たぶん帯広への帰省の途次、原町に寄ってくれた。そのあと私が結婚して清泉女子大で教えるようになったころ、彼は鹿児島から筑波に移ってきた。彼が結婚したのはその前後だったと思うが、確か目白の…そう、思い出した、椿山荘での結婚式に私も出席した。猪木正道門下で兄弟子に当たる高坂正堯など、当時マスコミで有名だった学者たちが集まっていたのを覚えている。その後の彼の活躍は目覚ましく、次々と著作を発表するかたわら、英米など諸外国での客員教授も歴任、いまや押しも押されもしない国際政治学の大家である。
彼と急接近して、もう少しで同じ職場の同僚になりそうなときもあった。私が今は亡き恩師神吉敬三教授の推挽で筑波大・大学院の地域研究科というところに移る寸前、念のため美子と土浦経由で大学を見にいったとき、まるで西部の町のような周辺の印象が悪く、急遽、間に立ったU教授のところに断りに行ったことがあった。もしあのまま筑波に移っていたらどうなっていたろう。進藤氏は一緒に闘うことを楽しみにしていたのに、と言うが、たぶん官学とはついに肌が合わず苦労したのではないか。かといって、最後の勤務先でのように、私学の、ミッション・スクールでもえらい苦労をしてしまったが。人生まっこと良く先が見えんとです。
いやそんな昔のことはともかく、今日の進藤氏の記事「アジア 覇権か協調か――孫文と梅屋の夢から100年」の論旨に、さすが我が友、と感心した。読み終わって、辛うじて手元に残っていた彼のケータイ番号を回すと、昔のままの彼の声が返ってきた。私と同じく彼にもいろいろな変化はあったろうが、お互いともかく元気であったことを祝福し合った。そしてそのうち必ず再会することを約して電話を切った。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 【再掲】「サロン」担当者へのお願い(2003年執筆) 2023年6月2日
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日