アーサー・ビナードという名前に最初どこで出会ったのか、はっきりしない。たぶん、テレビで、名前は忘れたがある詩人(いやアマゾンで検索したその記録が残っていた、私の知らない菅原克己という人だ)についてやけに流暢な日本語で話しているのでびっくりしたのが最初だったと思う。菅原克己の古本は少し高いので、ビナードの『日々の非常口』(朝日新聞社、2006年)という本を購入した。
ほとんど同じ時、以前から気になっていたもう一人のアメリカ人リービ英雄のことを思い出し、彼の『我的中国』(岩波書店、2004年)も注文した。二人とも、日本語が達者などというレベルではなく、日本語で書く作家なのだ。
二冊を同時に読み始めたところだが、その日本語のすごさに圧倒された。リービ英雄のものは、少年時、台湾や香港で聞いた中国語を頼りに、しかし基本は日本語に導かれて、一人中国を旅する紀行文だが、エッセイというより小説と言った方がいい繊細な文体で書かれている。もちろんその繊細さは、日本語を鋭敏なアンテナのように張り巡らしながら、その時々に感受したものを表現する際の繊細さである。
日本人が書いた紀行文と決定的に違うのは、表現媒体の日本語が一種の内言語でありながら、しかし同時にそれがその内面にあって異物感を消してはいないことから来る緊張を孕んでいるところであろう。彼のデビュー作『星条旗の聞こえない部屋』や『天安門』を読みたいが、しかしこの『我的中国』にも、彼の文学の目指す方向や、その手法はじゅうぶんに示されていると思う。
さてビナードである。彼の『日々の日常』は、掲載時は気づかなかったが、「朝日新聞」の2004年4月1日から2006年3月30日にわたって掲載されたコラムを集めたものである。したがって字数制限が千字以内のようだ。ということはわがモノディアロゴスのライバルである。といって、狙うところも手法も違うと逃げを打って、ともかく勝負を避けたいほど、実に達意のエッセイ群である。彼はエッセイストであると同時に詩人でもあり、2001年に発表した詩集『釣り上げては』で中原中也賞を受けたそうだ。
リービ英雄もアーサー・ビナードも、日本語で創作する外国人として、初めはもの珍しさから読み始められるかもしれないが、読み進めるうち、そんな括りなどいつの間にか忘れ去られ、ただ純粋に才能ある作家としてのみ見えてくるであろう。改めて考えるまでもなく、日本文学はこれまでも在日朝鮮人作家や最近の中国人作家など優れたアジア系作家たちによって豊かにされてきたわけで、これに欧米出身の作家たちの登場で、この傾向はさらに加速される時代になってきた。日本文学自体にとって実に喜ばしい現象である。
二人の作家に注目したことで思い出したのは、少し前にもドメニコ・ラガナというイタリア生れのアルゼンチン人がいたことである。最近彼の名前は見かけなくなったが、いまどうしているのだろう。下の書庫にあった、彼の『ラガナの文章修業』(講談社、1979年)を持ってきて、ぱらぱらとページをめくってみたが、どうも読んだ気配がない。この際、先の二人のアメリカ出身の日本語作家たちの本と一緒に、新しい角度からの日本語再発見でも楽しもうか。
ところでアルゼンチン人で思い出したが、元(帰化したので)アルゼンチン人のわが友ロベルト・オエスト氏も、北京から帰ってきて、その疲れが出たのか最近少し元気がなさそうである。私の贔屓目かも知れないが、彼ら三人にけっしてひけをとらない日本語の達人である。先の三人に負けないように、などと言うと彼は嫌がるだろうが、中断している「源氏物語」のスペイン語訳や、同じく書きかけのまま止まっている日本語による「幼年時代」「少年時代」などをぜひ書き継ぐよう発破をかけようか。
なーんて言いながら、いちばん発破をかけてもらわなければならないのは、実はこの私自身でした。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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