「世界わが心の旅」の二つ目は1996年に放送された米原万里の旅である。彼女については、以前井上ひさしがらみで触れたことがある。つまり彼の二番目の妻ユリの姉が米原万里なのだ。1959年、彼女の一家は父・米原昶(いたる)が日本共産党代表としてプラハに赴任するときに渡欧する。そしてそこのロシア語学校に入学するが、そのときの三人の同級生に三十五年ぶりに会いに行くという話である。友人とはそれぞれユーゴスラビア、ギリシア、ルーマニアと国籍の違う少女たちである。
と書き出したが、今日はちょっと続けられそうにもない。疲れが出たのだろうか。実は今日の午後の散歩は、久し振りに北泉海浜公園へと向かった。いつもの駐車場に車を停め、小高い丘を少し登って浜辺まで行くという、これまで何十回と繰り返してきたコースだが、なぜか今日はそこに停めないで、もっと海浜に近い駐車場まで行ったほうがいいかな、と一瞬思ったのだ。わずか十五分程度、距離にして…分からないが、いずれにせよたいした距離ではない。
行きの方はなんとか歩いたが、いざ戻ろうとして、なぜか車までの距離を歩き通せるか心配になったのだ。こんなことは今まで一度もなかった。やはり体力が衰えたのであろう。美子の手を引いての散歩だから、一人歩きより負担がかかるのだが、それにしても情けない話だ。もちろん最後まで歩けたのではあるが、歩き通せるかを心配した自分にショックだった。
ともかく今晩はこの辺で止めておく。明日はもっと元気が出ますように。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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