体力の衰え

 「世界わが心の旅」の二つ目は1996年に放送された米原万里の旅である。彼女については、以前井上ひさしがらみで触れたことがある。つまり彼の二番目の妻ユリの姉が米原万里なのだ。1959年、彼女の一家は父・米原昶(いたる)が日本共産党代表としてプラハに赴任するときに渡欧する。そしてそこのロシア語学校に入学するが、そのときの三人の同級生に三十五年ぶりに会いに行くという話である。友人とはそれぞれユーゴスラビア、ギリシア、ルーマニアと国籍の違う少女たちである。
 と書き出したが、今日はちょっと続けられそうにもない。疲れが出たのだろうか。実は今日の午後の散歩は、久し振りに北泉海浜公園へと向かった。いつもの駐車場に車を停め、小高い丘を少し登って浜辺まで行くという、これまで何十回と繰り返してきたコースだが、なぜか今日はそこに停めないで、もっと海浜に近い駐車場まで行ったほうがいいかな、と一瞬思ったのだ。わずか十五分程度、距離にして…分からないが、いずれにせよたいした距離ではない。
 行きの方はなんとか歩いたが、いざ戻ろうとして、なぜか車までの距離を歩き通せるか心配になったのだ。こんなことは今まで一度もなかった。やはり体力が衰えたのであろう。美子の手を引いての散歩だから、一人歩きより負担がかかるのだが、それにしても情けない話だ。もちろん最後まで歩けたのではあるが、歩き通せるかを心配した自分にショックだった。
 ともかく今晩はこの辺で止めておく。明日はもっと元気が出ますように。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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