昨日の寓話のことだが、もう一度録画を見直して正確な言葉をノートしたので、改めてご報告しよう。「ある兄弟が仲良く暮していました。そこへ近所の人がやって来て弟の知らないところで兄に、兄の知らないところで弟にヒソヒソと話をしたので、二人の仲は悪くなりました。」
このおじさんに、米原は近所の人とはどこの国を指しているのですか、と聞くが、それに対しては「そこまでは言えません。どの国かは、あなたたちの想像におまかせします。」と答える。この時点ではまだ時局をおおっぴらに批判することは危険を伴うことだったのであろうか。それはともかく、ナチスの「民族浄化」がいかに悲惨かつ愚かな結果に終わったかを知らないはずはないのに、ふたたびその狂気に捉われてしまったのはなぜか。
三人のうちでいちばん勉強家で成績も良かった旧ユーゴスラビア人で、現在はベオグラードに住むボスニア人のヤースナの言葉が胸に応える。「まわりの人からは分からないような空気のような存在になりたい。」米原が彼女はセルビア人だと思っていたのに、本当はボスニア人(モスリム)だったという一事からも分かるように、かつてはユースナ自身も自らをモスリムと意識しないで幸福に暮していたのである。自らのアイデンテティを意識しこだわればこだわるほど生き難くなるヤースナの苦悩とは何か。
三人のうちで一番勉強嫌いで成績も悪かった亡命ギリシア人の娘リッツァは、驚いたことに名門カレル大学医学部を出て、ドイツで主にギリシャ系の人たちのためのクリニックの医者をしていた。亡命ギリシャ人としてヨーロッパで生きていくには医者になるのがいちばんという親の意向で医者になっていたのである。生まれてから一度もギリシャを見たことがなかった彼女は、祖国は世界一きれいな空であると思い続けていたのだが、実際に帰ってみてそこがもはや安住の地ではないことを思い知らされる。今はもうギリシャには帰らないと思っている。
ルーマニア人共産党幹部を父にもったアナとて、ヤースナやリッツァとそれほど違った境涯にあるわけではない。現在彼女はイギリス人と結婚してロンドンに住むが、米原に会うためロンドンからプラハに来てくれる。最後は二人が常に激動の舞台であったバーツラフ広場で会う夜の場面だが、そこにも懐かしさと悲しさが入り混じる。翌日彼女たちは現在は高等看護学校に変わっている懐かしいロシア語学校を再訪する。そのときのアナ言葉、「自分の中で祖国ルーマニアはもはや10パーセントの存在でしかない」、もまた苦渋に満ちている。 「世界わが心の旅」の立原摂子のテーマ音楽はいつもどことなく悲しく切ない旋律を奏でるが、今回はなおさらその哀切さが強く響いてきた。民族とは何か、祖国とは何か。それは人間の原悲劇のようなものであって、三十五年前の少女たちの幸福な時代の方が一場の夢だったのか。それともいまなお地球上いたるところで繰り返されている憎悪と殺戮こそが、いずれ克服さるべき一過性の悪夢なのであろうか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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