夕暮れが迫っていた。なだらかな山の稜線が逆光の中で滲んで見える。その山裾からこちらへと続く村道を見下ろす位置に私はいるようだ。つまり小高い丘の上から西の空を見ているわけだ。ただ右手が西のはずなのだが、いつの間にか左手が西空になっているのが不思議だ。
先ほどから土地の若い者たちと、都会から来た若者たちが議論している。私としては都会の若者たちが、この町に興味を持ち、いや興味だけでなく好感を持ってほしいと願っているのだが、リーダー格の青年があまりにも場慣れしておらず、しどろもどろになっているのが、なんとも歯がゆい。
養豚がいかに将来性のある仕事であるか、一生懸命なのだが、「ヨウトンといっても、トンはオトンのトンではありません」などといらぬギャグを入れて、かえって窮地に落ち込んでいるようだ。
いつの間にか夜になっていた。都会から来た研修生たちの中には若い娘も何人か混じっており、リーダー格の青年は無理としても、土地の若い者たちの誰かを好ましく思ってくれる女の子もいるに違いない。次の瞬間、誰言うともなくみな草の上に大の字に寝て、満天の星を眺めている。何という星座か分からないが、星と星の間に割り箸のような金色の細い棒が渡されていて、あゝ何某の絵はここからヒントを得たに違いないと確信した。でもその何某、確かに最初はその名が思い浮かんでいたのに、ここで実名を出すと差し障りがあるのでは、と躊躇したとたん、名前を忘れ、どうしても思い出すことができなくなった。
目覚めた後も、しきりにその名を思い出そうとしたが、どうしても浮かんでこない。ただうっすらと棚引いていた悲しいような気分は、そのためではなさそうだった。もしかして何かもっと大事なことを忘れたのかも知れない。
後で思い返すことのできるような脈絡のはっきりした夢はめったに見ないが、今朝は起きた後もしばらく夢をたどり直すことができた。でもいざ書き出してみると、あれだけはっきりしていた映像が次々と崩落してゆき、残ったのは実につまらぬ筋だけになってしまった。夢の記述は熟練が必要なのだろう。
もしかして病がさらにすすんだのでは、と恐れつつ出した年賀状の返礼がIさんから届いた。ちょうどばっぱさんを訪ねるときだったので、あとからゆっくり読むつもりでその葉書をポケットに入れたが、少し乱れはあるものの、筆跡は明らかにIさんのものだった。良かった、持ち直したのだ。前回はときおり原稿のことなど世話してくださるかつての同僚の代筆だったのに、自分で書けるようになったのだ。
家に帰ってから改めて読んだ。そこには彼特有の筆跡でこう書かれていた。「一時、よめない、かけない生活になってしまいましたが、奇跡的にいまはなんとか活字も少しはよめ、かきのこしていた原稿にもとりくんでいます。」本当にすごい。どうかこのまま快癒への道を進みますように。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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