書きあぐねていた例の手紙をようやく書き終えた。同人誌「青銅時代」を引き継いでもらえないだろうか、という内容のS氏への手紙である。投函する前に平沼氏に電話口で読み上げ、彼の了解を得てからにしようと思ったが、留守らしい。とくに異存はないはずの内容なので事後承諾でいいだろうと、午後の散歩の途中、郵便局から速達便で出した。一仕事終えた気分になるかな、と予想していたが、そんなことはなかった。要するに半ば事務的に、淡々とお願いする文面になったからであろう。そしてその方が良かった。下手に感情に訴えるような書き方をしたら、受取る方でも負担に思うだろうからである。あとは成り行きに任せるしかない.
考えてみれば、いや考えるまでもないが、今日は立春である。午前中、愛たちがばっぱさん訪問をしてくれたので、施設訪問は休み、郵便局から新田川河畔に向かった。川面を渡ってくる風も柔らかく、十羽ほどかたまって泳いでいた鴨の群れも心地よさそうだった。いつもの通り、下水処理場側の道を突き当りまで行って帰ってきた。
夕食後、BSジャパンの「にっぽん原風景紀行」で冬の松川浦をやっていた。砂嘴の発達により堰塞されて宇多川河口に形成された面積5.9平方kmの潟湖で、明治末期までは塩の産地、以後はノリ、カキ、ハマグリ、アサリの養殖が盛んなところである。95年にできた美しい大吊橋の向こうに太平洋が広がる。今年の正月二日にも行ったところだが、テレビの画面でみる松川浦は、なるほど日本百景に数えられるだけあって実に見事な景勝地だ。ふだんはあまり意識してこなかったが、近くにこんな素晴らしい場所があるんだ、と認識を新たにした。冬の松川浦だけでなく、今年は四季折々の風景を楽しみたいものだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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